遠い記憶のESTANI(ネスタニ)@SPARTATHLON2008

記憶とは曖昧なもので、またその曖昧さが人間の本能かも知れない。 

辛い思い出では風雪に耐える石のように、脆くも崩れ行く。 

そして、微粒子までに削ぎ落とされて土に変える。 




楽しい思い出だけが、宝石のようにいつまでも輝きを止めない。 

本人だけでなく、周りの人間さえ生きている限り、心の底で生き続ける。 

僕のスパルタスロンも、曖昧な記憶の中で生き続ける。 
意識に中に生まれた記憶が消去されるのは、最後の瞬間であろうか。 

昨年のスパルタスロンでは、悔しい記憶だけが蓄積されて居たたまれない気持ちで帰国する。 

突然に事故のように、あけなく終わってしまった。 
そして、2008年のスパルタスロンの 長い一日の始まる。 

幹線から外れ、国道の下のトンネルを抜けて右折すれば、ほぼ直線的な舗装道路が続く。ほぼ平坦な道を進むとなると、かなり気分的に一番面白みの少ないステージである。 

左手には岩場の露出が顕著な低山が連なり、右手には高速道路が同じように直線的に続き、 
あるであろう田園風景を冷たく遮断する。 

今まで感じた事のない閉塞感と圧迫感が、僕の頭の中を無秩序に展開される。 

しばらく我慢の時間を過ごすと、コースは山裾に向けて左折する。 
そしたらどうであろう…異様な大きな岩が現われる。 

それは、映画のワンシーン“未知との遭遇”にあるような円錐形の怪奇な一枚岩で、山の頂に荘厳に鎮座している。 

異様なその情景に、しばし見惚れてしまう。 

僕には、まさに屏風のように映る。何か神聖な岩なのかも知れない。 

見上げるようにそそりたつ岩肌が、圧倒的な存在感を人々の心に与える。 



岩までは、標高450mというからそれほどの高さではないのだが、道のりは険しい。 

日本であれば、恐らく締縄が掛けられる筈だ。 

この屏風のような岩に見守られたネスタニは、落ち着いた静かな街である。 

急坂を上って涸れたような小さな壁が次々に現われて、迷路の如くに道を塞ぐ。 
わずかにつづら折りの坂を一気に下ると、目の前に大きな広場が現われる。 


ギリシャ文字に刻まれた石柱の無数のお墓が、途絶えることなくネスタニの街外れに 
歴史を刻んでいる。 

CP52:ネスタニ(172キロ:制限時間07:30)に06:53に辿り着く頃には、すでに日も昇り清々しい朝を迎える。 
眠りから覚めようとするネスタニの家々を眺めながら、街の中心部に差し掛かる。

石造りの家並みが印象的な古代都市…それがネスタニ。
石壁を右折すると、突然に人影が現われた。

ここには日本人選手をサポートする日本事務局の坂本さんご夫婦が、御粥の
エイドを用意している。

通過して行く日本人選手にひとりひとり言葉をかけて、“御粥を食べてください!と奨める。


大きな鍋でゆっくりと焚かれた御粥は、最高に美味い。
素朴な食べ物が、こんなに美味いとは・・。

ここまでカロリーの高いサプリメントのみを摂取してきた。しかし、後半戦に突入すると、味に飽きてくる。人間とは傲慢である。

チームサポート隊長:コスメル前村さんとミチヒロさんにも暖かい言葉を掛けていただき、やっと元気出てきた。

早朝に関わらず多くの人々が集まっている。
街を少し離れると、お墓の多さが目に付く。有史以来の歴史が存在した証である。

地元住民の人々の篤い視線と“アレ!アレ!”のエールに満ちた渦の中で、僕の頭の中に蔓延る睡魔の痕跡を消滅させていく。夢のような夜と別れ、肌を焼き尽くす現実の昼を迎える。

ネスタニの街を抜けりと、単調な田園風景の中を走る。
ぶどう畑や牛の姿が眺められるほど、長閑な情景である。
刈り取られた草が、あちらこちらに点在している。
沿道を走る選手には漂うその匂いが、朝の陽射しと重なりなぜか気 なっていた。

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