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火葬場への片道切符

 火葬場への片道切符と、庭で燃やされた位牌のこと 結局のところ、人生とは火葬場という終着駅へ向かって、ひたすら蛇行を繰り返していく奇妙な旅のようなものなのかもしれません。 私が十歳のとき、父は亡くなりました。それまでの私にとって「死」とは、どこか遠い国の凄惨な地獄絵図や、夜の廊下に立つ幽霊のような、非日常的な恐怖の象徴に過ぎませんでした。しかし父がこの世から消えてしまったとき、それは私の内側に空いた、名状しがたい空白へと姿を変えたのです。 父の一周忌を控えたある日のこと、私は電車の座席に揺られながら、ふと車内を見渡しました。吊り革を握るサラリーマン、隣り合って座る見知らぬ大人たち。彼らはごく当たり前の顔をしてそこに存在していましたが、ある考えが不意に頭をかすめました。 この車両にいる人間は、いずれ一人残らず死ぬのだ。 それは冷徹で、逃れようのない事実でした。それほど遠くない未来、私さえ存在しないこの車両や学校、あるいは地球そのものが、まったく別の人々に入れ替わってしまう。その静かな無常観を、当時の私は言葉にする術を持ち合わせていませんでしたが、身体は正直に反応しました。夜ごとに火葬場の夢を見ては、冷たい現実の中で目を覚ます日々。母までもがいずれ死ぬ運命にあると考えると、もう居ても立ってもいられませんでした。 しかし、私たち母子をより深く追い詰めたのは、死そのものよりも、むしろ生々しい「救済」の勧誘でした。 父の死後、静まり返った家には新興宗教の信者たちがひっきりなしに訪れました。不幸なことに、その急先鋒は私の友人の母親でした。「お悔やみ」というもっともらしい口実で玄関をこじ開け、一度座り込んだら最後、何時間でも居座り続けるのです。 「癌になったのは先祖の祟りです」 「このままでは息子さんにも悪影響が及びますよ」 そんな言葉が、理不尽な重荷となって母の肩にのしかかりました。隣の部屋でそれを聞いていた私は、せめてもの抵抗として「お腹が空いた」と声を上げたり、母の肩を引っ張って彼らの輪を乱そうとしたりしました。彼らが熱心に説く「母子家庭の不幸」というものは、私にとっては卑怯な虚構に過ぎませんでしたが、現実は容赦なく進行していきました。 ある日、学校から帰ると母が顔を真っ白にして泣いていました。 買い求めたばかりの仏壇の中身、父の位牌や写真、それらすべてが彼らの手に...

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