お盆に寄せ
8月の半ばになると、空の青さはどこか別の場所から切り取られてきたかのように、圧倒的で、そして奇妙に乾いた手触りを持つようになる。それは夏という季節が持つ本来の暴力性というよりも、もっと静かで、個人的な記憶の底からじわじわと染み出してくる種類の重みに似ている。僕はキッチンの古いカウンターに肘をつき、マグカップに残されたぬるいコーヒーの表面をぼんやりと眺めながら、そんなことを考えている。窓の外では、蝉の声が幾重にも重なり合い、まるで世界そのものが小さな金属音を立てて摩擦を起こしているかのような錯覚にとらわれる。 人生において、あるいは私たちが知る日常という枠組みにおいて、ある種の出来事は前触れもなく、不意に、しかし完璧なまでの正確さをもって訪れる。それはまるで、よく手入れされた書斎の本棚から、一冊の古い本が音もなく床に滑り落ちる瞬間に似ている。音がしないわけではない。しかし、その音が響くべき空間そのものが、あまりにも広大で静寂に満ちているため、耳に届くころにはすでに遠い過去の出来事のように感じられてしまうのだ。 ある夜、妻は出かけたまま帰ってこなかった。 それはごくありふれた、何の変哲もない夕暮れの後でのことだった。夕食の皿を洗い終え、リビングのソファで新聞の地方版に目を通していたとき、彼女はちょっとそこまでと言って玄関のドアを開けた。サンダルがコンクリートの叩きを軽く叩く音がして、それからドアが閉まる乾いた音がした。僕はそのとき、特になんの疑問も抱かなかった。人が家を出て、そして戻ってくるということは、地球が自転することと同じくらい、当然の物理法則として僕たちの生活に組み込まれていたからだ。 しかし、時間が夜の深い淵へと沈み込んでいくにつれて、その当然の法則は静かに、しかし確実にかたちを失っていった。スマートフォンの画面に表示された彼女のアイコンに向けてメッセージを送ってみたものの、既読の二文字はついに灯らなかった。何度か呼び出し音を鳴らした電話の向こうからは、ただ機械的な電子音が冷たく繰り返されるばかりだった。部屋のなかの空気が少しずつ冷たく、そして重くなっていくのが肌で感じられた。胸の奥のあたりに、鉛の塊のようなものがじわじわと沈殿していく。嫌な予感という言葉では表現しきれない、もっと根源的な恐怖が、背筋を這い上がるようにして広がっていった。 ...



