スノームーン、あるいは四万十の沈黙について

 

降り始めた雪、あるいは微かな音のない肯定 そのとき、不意に空気が密度を変えた。 空の奥深くで、何かが静かに決壊したような気配がした。

見上げると、スノームーンの光の膜を突き抜けて、白い断片がゆっくりと降下してくるところだった。

雪だ。 それは予兆もなく、そして驚くほど丁重にやってきた。 月光を浴びた雪のひとひらは、闇の中で青白く発光する微細なダイヤモンドの塵(ちり)のようにも見えた。それは重力に従っているというよりは、磁力に導かれるようにして、ためらいがちに地上へと降りてくる。

静寂の再定義
雪が降り始めると、世界はそれまでよりもさらに深い沈黙に包まれた。 雪の結晶が空気を吸い込み、僕の周囲にあるあらゆる音の残響を消し去っていく。川の流れる音さえも、どこか遠い記憶の底で鳴っているような、非現実的な響きへと変質した。 僕は右手を伸ばし、指先にその冷たい結晶を一つ受け止めてみる。 それは一瞬だけ僕の体温に触れ、何の意味も残さずに、ただの透明な雫(しずく)へと姿を変えた。

まるで、最初からそこに何もなかったことを証明するかのように。 孤独という名の完成形 月光に照らされながら舞い落ちる雪を眺めていると、僕は自分がどこか別の、名前のない場所へと運ばれていくような感覚に囚われる。 そこには悲しみもなく、喜びもない。ただ、凍てついた時間と、降り積もる白さがあるだけだ。

赤鉄橋の赤が、白く霞んでいく。 小京都の街は、月と雪の共謀によって、この世界から完全に切り離されたひとつの箱庭になった。僕はただ、その静かな消失の過程を、いつまでも黙って見つめ続けていた。

二月の凍てついた気圏(きけん)から
銀の粉末をふりそそぎ
スノームーンが天の円盤として
しづかに しづかに かかってゐる
四万十の川水(かはみづ)は
黝(あをぐろ)き鋼(はがね)のやうにひきしまり
岩を噛むその青い吐息を
雪の気配が
やさしく窒息(ちっそく)させてゐる
雪の月、銀河の反映
あぁ 赤鉄橋の骨組みは
夜の水素にひたされ
巨大な幾何学(きかがく)の影を
河原の雪の上に刻印する
街はひとつの標本箱(ひやうほんばこ)
小京都の屋根屋根に
月光の燐(りん)が降り積もり
凍えた空気のなかで
透明な化石にならうとしてゐる
寂然(じやくぜん)たる宇宙の瞳
この冷たさは
天頂(てんてふ)の水晶が放つ
無色の火花だ
僕はマントの襟を立て
この孤独な発光体(はつくわうたい)を見上げる
スノームーン
おまへの清冽(せいれつ)な眼差しが
四万十の沈黙を透(す)かし
僕らがいづれ帰るべき
青い原っぱの記憶を
しづかに照らし出してゐる

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