億り人の冬枯れ
億り人の冬枯れ
最初に「億」という数字を見たのは、十二月の深夜だった。
スマホの画面が青白く光って、残高の欄に十桁の数字が並んでいる。指が震えて、ロック解除に三回失敗した。寒い部屋で息が白く立ち上るのをぼんやり見ながら、俺は自分がまだ生きているのか確かめるように胸を叩いた。
翌朝、コンビニへ行った。いつものツナマヨおにぎりが148円。レジの前で三秒ほど立ち止まり、ふと思った。
この148円は、俺の資産の何万分のいくつだろう、と。計算するまでもない。無意味なほど小さい。結局買わずに店を出た。腹が減っているのに、148円が惜しくてたまらなかった。貧乏だった頃と同じ感覚が、骨の髄まで染みついている。
それから半年、生活はほとんど変わらなかった。
同じワンルーム、同じ安いユニクロ、同じ松屋の牛めし(並)。銀行の残高は三百万円を切っているが、取引所のウォレットには途方もない数字が眠っている。数字は増えも減りもするが、俺の手元には何も来ない。まるで遠い星の光を見上げているような気分だった。
ある日、昔の同僚に誘われて銀座の寿司屋へ行った。カウンターで大将が「時価のトロを握ってくれる。隣の客は平然と「全部お任せで」と言う。俺もつられて同じことを口にした。一人十五万円。会計のとき、カードを差し出す手が小刻みに震えた。震えていたのは怖かったからではない。十五万円など、チャートが一分揺れただけで消える金額だとわかっていたからだ。それでも震えた。まるで自分の体が、まだ貧乏人のままでいることを主張しているようだった。
帰り道、タクシーに乗った。運転手が「景気いいですねえ」と笑うきうき話しかけてくる。俺は曖昧に笑って窓の外を見た。ネオンの海が流れていく。ふと気づいた。俺はこの街で一番金を持っている人間の一人かもしれないのに、誰よりも貧乏臭い気分でいる、と。
今でも、冷蔵庫の電気を消し忘れると自分が嫌になる。
ポイントカードは三枚持ち歩き、レシートは必ずもらう。
スーパーの半額シールが貼られた弁当を見ると胸が高鳴る。
含み益は三十億を超えたという通知が来ても、心はまるで動かない。
動かないのは慣れたからではない。
動くべき場所が、もうどこにも残っていないからだ。
俺はただ、冬枯れの木のように立っている。
枝の先に、誰にも触れられない実だけが、ひたすら重くなっていく。
### 億り人の孤独な友情
俺が最後に「友達」と呼べる人間と飯を食ったのは、もう二年以上前だ。
あれはまだ含み益が三億円くらいの頃だった。
いつもの居酒屋で、大学時代の同期四人と飲んでいた。
話が金に回ったとき、俺はついポロッと本当の資産を言ってしまった。
「まあ……今ちょっと仮想通貨で当たっててさ。含み益で三億くらいかな」
一瞬、店内が静まり返った。
箸が止まり、ビールの泡が音を立てて消えていくのが聞こえた。
最初は笑い話になった。
「お前マジかよ!」「また嘘ついてるだろ」「三億あったら俺に一千万くれよw」
でも五分も経たないうちに、誰も笑わなくなった。
視線が泳ぎ、話題が急に天気や仕事の愚痴に変わる。
その夜、俺は気づいた。
金が友達を殺したんだ、と。
それから連絡は自然に減っていった。
LINEのグループはまだ残ってるけど、誰も俺を誘わない。
俺も誘わない。
誘ったら「金持ちの道楽に付き合わされる」と思われる気がして。
今、俺のスマホの連絡先には三千件以上の名前がある。
でも、深夜に「ちょっと話聞いてくれ」と電話できる相手は一人もいない。
仮想通貨のコミュニティには「仲間」がいる。
同じく億り人になった連中だ。
Discordで毎日チャートを見ながら馬鹿話をする。
でもあいつらも結局、俺の資産額を知った瞬間から距離を取った。
「○○さん(俺のこと)はもう別次元っすね」って笑って言われる。
その笑顔の裏に、微かな怯えが見える。
俺が暴落で死んでも、誰も助けに来ないだろう。
助けに来れる奴がいない。みんな同じ船に乗ってるから。
去年、久しぶりに実家に帰った。
母親が台所で小声で父に囁いているのが聞こえた。
「あの子、本当に三億もあるの?怖いわ……」
その瞬間、俺は自分の家にすら居場所がないことを知った。
今、一番話す相手は、
毎晩同じ時間にチャットに来る匿名のアカウントだけだ。
向こうも億り人で、向こうも友達がいない。
お互いの資産額も本名も知らない。
ただ、チャートのスクショを送り合って、
「今日も生き残ったな」
「明日も生き残ろうぜ」
とだけ打ち合う。
それがらくたのような言葉だけど、
それが今、俺にとって唯一の「友情」だ。
億り人は金で友達を買えない。
金があるとわかった瞬間、友達は消える。
残るのは、同じ孤独を抱えた億り人だけ。
だから俺たちは、画面の向こうの名無しとだけ、
静かに、ひっそりと、
「お前もまだ生きてるんだな」
と確認し合う。
それだけで充分だ。
少なくとも、今は。
### 俺が「億り人」になってから、心がどう変わったか
正直に、時系列で全部吐き出してみる。
1. 最初の1週間
「これ夢だろ」
毎朝起きて残高確認して、また寝る。
誰にも言えない。言ったら壊れそうで怖かった。
2. 1ヶ月目
「俺はもう負けない」
全能感が爆発。コンビニで「全部買ってやる」って本気で思った。
同時に「暴落したら終わり」という恐怖が常に背中に張り付いてた。
3. 3ヶ月目
「友達がいなくなった」
金の話をしたら空気が変わるのがわかる。
誰も本気で喜んでくれない。
俺が奢ると「すごいね」で終わる。
羨ましがられてるのも、嫌われてるのも、同じ温度に感じた。
4. 6ヶ月目
「金ってこんなに軽いのか」
1億円動いても心拍数が上がらなくなった。
でもコンビニの148円のおにぎりは今でも「高い」と感じる。
自分の中で「大金」と「小銭」のスケールが完全に壊れた。
5. 1年目
「誰も信じられなくなった」
彼女ができても「金目当てかも」と疑う自分がいる。
親にすら「本当の額」は言えない。
実家に帰ると母が小声で「怖いわ…」って言ってるのが聞こえた。
6. 現在(約2年目)
「寂しいけど、平気になった」
孤独に慣れた。
深夜3時に「今日も生き残ったな」と打ってくれる名無しの億り人が一人いるだけで、
それで充分だと思えるようになった。
金は増え続けている。
でも、心はどんどん静かになっていく。
喜びも、悲しみも、驚きも、全部薄まっていって、
最後にはただ「数字が動いてるな」という観察者みたいな気分だけが残った。
昔の俺が夢見た「億り人になったら豪遊して幸せ!」
あれは嘘だった。
実際になったら、ただ静かに、ひたすら静かに、自分の中の音が消えていくだけだった。
今、俺が一番欲しいものって
「含み益」でも「現金」でもない。
ただ、誰かと当たり前に飯を食って、
「今日も疲れたな」って言い合えることだけだ。
でもそれは、もう二度と戻らないとわかってる。
だから夜空を見上げて、雪を見ながら、
スマホの小さな画面にだけ、
「お前もまだ生きてるか」と打つ。
それだけで、なんとか生きてる。


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