東京マラソンの記憶
2007年2月18日日曜日
今朝から冷たい強い雨が振る続いていた。
僕は、夢と憧れを抱いて、東京都庁前にある長く続く群集の中にいた。
東京マラソンを誕生した大きな喜びがと興奮が僕を高揚させていた。
スタートまでの約1時間、冷たい雨に打たれて僕たちは凍えていた。
余りの寒さに都庁内に避難しようとしたが、すべて扉は無機質にロックされていた。
仕方なく僕たちは軒先の下で、いいようのない怒りを抱いて佇むしかなかった。
この怒りは何だったんだろうか?
それは凍える多数の選手をスタート前まで、都庁内ホールやなどを解放しないことにあった。
ガラス窓から館内を覗き混むと、それは人影の少ない大きな空間だった。
そして、数年後、3.11を迎えた。
東日本大震災である。
たまたま、地震発生後赤坂から自宅までの約40キロを帰宅ランニングをやっていた。
すべての交通機関が停止していたからだ。
途中、都庁前を走ていると、第一回東京マラソンとおなじ情景を見ることになったのです。
徒歩の多くの帰宅難民を拒否するかのよいに、都庁すべての扉が閉められていた。
そして、いいようのない怒りがまた鮮やかに心深き産声を聞いた。
東京がひとつになる。
僕には、白々しい空言だなと何かをとうざけるように言葉を吐いた。
それからは、東京マラソンを走るとことはない。
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