2014旧北陸道走り旅 覚書その2:富山駅から福井駅




2014年7月5日(土)

昨日4日(金)は、富山で完全休養に努めた。
足の状態を確認したかったからだ。もちろん、大きなダメージもあるので疲労抜きもひとつの課題である。

この日は一日朝から雨が降り、蒸し暑い時間が過ぎていた。
結局、ホテルの大浴場でのんびりと浸かり、三々五々と市内の観光名所など・・・例えば富山城などを散策した。

翌日5日(金)
ホテルをチェックアウトを、日の出前に出旅する。
天気は晴れ。
一日暑くなることを覚悟しなければならない。


旧北陸道で.歴史ファンの僕としては、一番興味津々である峠がある。

それは、つまり倶利伽羅峠(からくりとうげ)の戦いである


倶利伽羅峠
ご存知での方も多いと思いますが。源義仲と平維盛の対決。
すなわち、源平合戦の序幕の舞台である。


埴生から走り出したのが午後4時過ぎ。
峠を通過してオンロードからオフロードの旧道にはると、一軒の民家がある。
建物の裏でゴゾゴゾしていたので、熊か?と思ったがご主人でした。笑

聞けば、この時間帯は旧道に熊が出没していいるので、ひとりでは危険だと忠告を受けた。

熊鈴を用意していたので、覚悟して下山した。恐

昨日は富山から福井まで約120キロ程度は走ったようだ。途中かなり道に迷ったので、+αあり



「平家物語」に想い入れがある芭蕉は「奥の細道」の旅で、源平合戦ゆかりの史跡を巡り、いくつかの名句を残しています。特に義仲には強い共感を抱いていたようで、「(墓は)木曽殿の隣に」との遺言によって大阪で病死した芭蕉は弟子によって死の翌日、大津にある義仲寺に運ばれ義仲の墓の隣に埋葬されました。
北陸路では金沢に急いだ芭蕉も、義仲が大勝を納めた合戦の舞台である倶利伽羅峠では義仲に想いを馳せていたことでしょう。
倶利伽羅峠を横断する源平ライン沿いには芭蕉の句碑が二つ建っています
「義仲の 寝覚めの山か 月悲し」
この句は後に訪れた越前の燧ヶ城で詠んだものですが、義仲の生涯を偲び詠んだとされます。

「あかあかと 日は難面も あきの風」
句を詠んだ場所も解釈も諸説ありますが、残暑厳しい北陸路で得た旅情を詠ったとされています。

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