PEACE RUN ULTRACHALLEGE(ピースランウルトラチャレンジ)への思い 挑戦



2014長崎原爆資料館にて。

僕が初めてこの写真を観たのが,
高校二年の夏でした。
親の離婚などで心暗い日々のなかで、初めて訪れた長崎原爆資料館。

8月9日は、長崎に原爆投下された日。

この日は、長崎原爆資料館の入館料が無料となります。
それまでは、僕は長崎原爆には無関心であった。

そんな夏に訪れた原爆資料館。

館内では、目を覆いたくなるような無惨な写真が数知れません。


黒く焼け焦げた親子。
皮膚がただれ顔や足そして手など累々。

死が当然のごとくの無慈悲な無惨さ。

まだ訪れた機会がなければ、ぜひ訪ねてください。


この少年と背中に背負う妹の写真には、無惨な衝撃もなく静寂が漂っています。

怒りと激痛、絶望といった人間の感情が溢れる長崎原爆資料館でした。
しかし、この少年には強烈なある誓いを感じてなりませんでした。

静かな時間のなかで、少年の視線を我を忘れて涙した高校二年の夏。

背に担いだ妹は眠ってはいません。
すでに死亡しているのです。

死んだ妹を担いで
原爆で亡くなった屍を荼毘にするために、焼場まで運んできたのです。
少年はおそらく小学校三年くらい。

どれだけの距離を歩いてこの火葬場まで歩いたのでしょうか?
小さな心のなかを今は知るすべもありませんが、少年は身近な死と対峙しているのです。

妹が完全に焼かれたことを確認するまで数時間、少年の視線は小さな妹に注がれました。

戦争の悲惨さを伝えるだけでなく、人間として”凜”とした純粋な精神さを、僕は少年に感じます。

今年の夏が広島から長崎まで走ろうと決心してから、改めてこの少年の写真を確認した。



少年が担いだ妹の代わりにリックで。


火葬場までの距離を広島から長崎までの約400キロに。


心の痛みに真夏の酷暑に。



僕はそんな気持ちで広島から長崎までの巡礼走り旅にしたかったのです。

少しでもこの少年の気持ちや心情に近づきたい。
そんな強い気持ちで少年と弟が待つ長崎原爆資料館を目指しました。

そして、昨日午前11時2分
僕は、この原爆資料館にある少年と妹に、こころしずかに黙祷することができました。

あの暑い高校二年生活の僕が、いまここに立ってこんな気持ちで佇むことが不思議でした。

ようやく終わった巡礼走り旅ですが、また来年の夏に少年と妹に会いに行こうと思います。


そして、帰り際に背中より幼い声を僕は聞きました。

振り替えると同じような年齢位の少年と妹が、優しく微笑んでいました。

”よく頑張ったね!”

そんな静かな時間が過ぎていました。




目撃者の眼  報道写真家 ジョー・オダネルから

1999年現在76歳になるジョー・オダネル氏は、アメリカ軍の
報道写真家として第2次世界大戦後の日本を撮った。

佐世保から長崎に入った私は、小高い丘の上から下を眺めていました。
すると白いマスクをかけた男達が目に入りました。
男達は60センチ程の深さにえぐった穴のそばで作業をしていました。
荷車に山積みにした死体を石灰の燃える穴の中に次々と入れていたのです。

10歳ぐらいの少年が歩いてくるのが目に留まりました。
おんぶひもをたすきにかけて、幼子を背中に背負っています。
弟や妹をおんぶしたまま、広っぱで遊んでいる子供の姿は
当時の日本でよく目にする光景でした。
しかし、この少年の様子ははっきりと違っています。
重大な目的を持ってこの焼き場にやってきたという強い意志が感じられました。
しかも裸足です。
少年は焼き場のふちまで来ると、硬い表情で目を凝らして立ち尽くしています。
背中の赤ん坊はぐっすり眠っているのか、首を後ろにのけぞらせたままです。

少年は焼き場のふちに、5分か10分も立っていたでしょうか。
白いマスクの男達がおもむろに近づき、ゆっくりとおんぶひもを解き始めました。
この時私は、背中の幼子が既に死んでいる事に初めて気付いたのです。
男達は幼子の手と足を持つとゆっくりと葬るように、焼き場の熱い灰の上に横たえました。

まず幼い肉体が火に溶けるジューという音がしました。
それからまばゆい程の炎がさっと舞い立ちました。
真っ赤な夕日のような炎は、直立不動の少年のまだあどけない頬を
赤く照らしました。
その時です、炎を食い入るように見つめる少年の唇に
血がにじんでいるのに気が付いたのは。
少年があまりきつく噛み締めている為、唇の血は流れる事もなく、
ただ少年の下唇に赤くにじんでいました。

夕日のような炎が静まると、少年はくるりときびすを返し、
沈黙のまま焼き場を去っていきました。
(インタビュー・上田勢子)

(朝日新聞創刊120周年記念写真展より抜粋)




(注)
公式には、少年に背負っている幼児は弟とあります。しかし、僕は絶対に妹と信じています。



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