PEAECRUN 2014 ULTRACHALLENGE:74時間の足跡を辿る 小倉から諫早まで 第二章
はじめに
8月の夏に、原爆が投下された広島から長崎まで約423㌔を制限時間は74時間以内で完踏することができました。
それも単独(ソロ)でサポートもありません。ひとりだけの巡礼走り旅です。
なぜ74時間に拘るのでしょうか?
理由は簡単だ。
広島に投下された時間は、8月6日午前9時で、長崎は8月9日午前11時である。
広島に原爆投下の74時間後に長崎に投下されました。
74時間とはそんな意味があるのです。
30時間 で小倉から諫早まで
二日目は、一番辛い時間となった。
疲労困憊と脱水症状で、僕は意識朦朧とした状態で国道200号を歩いていた。
コースは、小倉駅から国道3号ー国道211号ー国道200号ー鳥栖ー国道34-諫早までの
約182キロ
着替えやサプリメント等は、小倉と鳥栖と諫早の三ヶ所のホテルに事前にヤマト便で
送ったおいた。
できるだけ、ザックには荷物の負荷を軽減しなければならないからです。
小倉駅からいよいよ鳥栖を目指したのは昼前の蒸し暑い時間帯です。
国道3号は蜃気楼にように道路がゆらゆらと揺れていました。
日差しが強い昼間は、駅のベンチや公園の木陰で仮眠を積極的に貪り、暑さをやり過ごすことも多くなります。勝負は夜です。
飯塚駅を前にして、黒い雷雲が立ち上るのがわかった。
数時間後、激しい稲妻と豪雨の中を、ずぶぬれになりながら先を進んだ。
これは恵みの雨となった。
冷たい雨は、一時的なシャワーとなって体内の熱を気化させてくれる。
広島から長崎までノーサポートで、それも真夏だ!!
炎天下で約400㌔を制限時間74時間以内で走ることは、本当に crazyだなって実感したね。
さらに、台風の影響もあり天候に大きく左右させられた。
それから宿だけど、一応事前にホテルを予約した。
鳥栖と諫早、それから小倉の三ヶ所。
しかし、チェックインするのが深夜であり、チェックアウトが早朝 の為に3時間程度しかベッドで寝るしかない。
野宿もいいのですが、エアコンで身体をCOOLDOWNすること 忘れてはならない。
そして一番大切なのが、氷を入れたお風呂。ギンギンに冷えた氷風 呂で暑くなった身体を冷却するにはホテルでないとね。
日中は暑さを避けるために、野外で野宿する。主に公園や駅のベン チがそれだ!
少しは涼しい夜間に走るように留意すことにした。
ちっぽけな自分
正直サポーターなしの広島から長崎までの制限時間74時間なんて無理だと思った瞬間があった。
飯塚を目指しての国道でついにへたばってしまい、もう止めようと。
何てバカな走り旅なのかと。。
やめれば楽になる。
突然雷雨と共に豪雨が襲ってきた。
行けるとこまで行こうと重い腰を上げて、とぼとぼと歩いていた。
雨はさらに強くなりおれかけた気持ちに容赦ない冷たい雨。
雨粒だけではない。
道路にたまった池だまりを蹴る車。
全身を濡らす泥水。
何かが折れそうにある自分を知っていた。
そんな時、一台の車が脇に止まり、傘を差して降りてきた。
僕のそばにくると、体を守るように傘が覆ってくれた。
もうやめて下さい。
車で近くの駅まで送りますので。
と彼女が言っている。
彼女はずぶ濡れになりながら僕を守ってくれる。
マラソンなのでどうしても車にのれません。
僕は先に進むことに決めた。
そうだ、せめて彼女の名前を聞くべきだった。
8月の夏に、原爆が投下された広島から長崎まで約423㌔を制限時間は74時間以内で完踏することができました。
それも単独(ソロ)でサポートもありません。ひとりだけの巡礼走り旅です。
なぜ74時間に拘るのでしょうか?
理由は簡単だ。
広島に投下された時間は、8月6日午前9時で、長崎は8月9日午前11時である。
広島に原爆投下の74時間後に長崎に投下されました。
74時間とはそんな意味があるのです。
30時間 で小倉から諫早まで
国道200号線にて 意識喪失 |
二日目は、一番辛い時間となった。
疲労困憊と脱水症状で、僕は意識朦朧とした状態で国道200号を歩いていた。
コースは、小倉駅から国道3号ー国道211号ー国道200号ー鳥栖ー国道34-諫早までの
約182キロ
着替えやサプリメント等は、小倉と鳥栖と諫早の三ヶ所のホテルに事前にヤマト便で
送ったおいた。
できるだけ、ザックには荷物の負荷を軽減しなければならないからです。
小倉駅からいよいよ鳥栖を目指したのは昼前の蒸し暑い時間帯です。
国道3号は蜃気楼にように道路がゆらゆらと揺れていました。
日差しが強い昼間は、駅のベンチや公園の木陰で仮眠を積極的に貪り、暑さをやり過ごすことも多くなります。勝負は夜です。
飯塚駅を前にして、黒い雷雲が立ち上るのがわかった。
数時間後、激しい稲妻と豪雨の中を、ずぶぬれになりながら先を進んだ。
これは恵みの雨となった。
冷たい雨は、一時的なシャワーとなって体内の熱を気化させてくれる。
広島から長崎までノーサポートで、それも真夏だ!!
炎天下で約400㌔を制限時間74時間以内で走ることは、本当に
さらに、台風の影響もあり天候に大きく左右させられた。
それから宿だけど、一応事前にホテルを予約した。
鳥栖と諫早、それから小倉の三ヶ所。
しかし、チェックインするのが深夜であり、チェックアウトが早朝
野宿もいいのですが、エアコンで身体をCOOLDOWNすること
そして一番大切なのが、氷を入れたお風呂。ギンギンに冷えた氷風
日中は暑さを避けるために、野外で野宿する。主に公園や駅のベン
少しは涼しい夜間に走るように留意すことにした。
ちっぽけな自分
正直サポーターなしの広島から長崎までの制限時間74時間なんて無理だと思った瞬間があった。
飯塚を目指しての国道でついにへたばってしまい、もう止めようと。
何てバカな走り旅なのかと。。
やめれば楽になる。
突然雷雨と共に豪雨が襲ってきた。
行けるとこまで行こうと重い腰を上げて、とぼとぼと歩いていた。
雨はさらに強くなりおれかけた気持ちに容赦ない冷たい雨。
雨粒だけではない。
道路にたまった池だまりを蹴る車。
全身を濡らす泥水。
何かが折れそうにある自分を知っていた。
そんな時、一台の車が脇に止まり、傘を差して降りてきた。
僕のそばにくると、体を守るように傘が覆ってくれた。
もうやめて下さい。
車で近くの駅まで送りますので。
と彼女が言っている。
彼女はずぶ濡れになりながら僕を守ってくれる。
マラソンなのでどうしても車にのれません。
僕は先に進むことに決めた。
そうだ、せめて彼女の名前を聞くべきだった。
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