絆とは 人間の本質を考える

人間の本質

 世間でよく言われることだが金の切れ目が縁の切れ目。

お金を持っている人には、それを目的に人が集まってくる。
だが、破産などで一文なしになると、手を返すように人は去っていく。


お金だけでは人を友とは呼ばないらしい。


ではお金などの損得勘定抜きでお付き合いした人はどうか?
マラソンで言えばラン友と呼ばれる人である。

果たして友と呼べる存在でしょうか?

数十年親しくお付き合いしていたラン友が、肺癌で亡くなった。
享年48歳


故人と親交をしていた関東に在住するラン友に訃報を知らせるメールを発信した。

遺体は横浜市都筑区でお別れ会が行われた。
故人のお顔を見れる最後の夜

首都圏だけでなく関西からも
彼のお顔を見ようと駆けつけてくれた。
それも夜9時までに
仕事関係の方やランニングの友総勢100名の方が、彼とのあお別れを惜しんだ。

後日、
出席された記帳簿を拝見することができた。

僕が彼の訃報を知らせたメールの本人の名前が確認できなかった。
仕方ない、突然だからとその時は納得した。

そして
彼の実家で行われたお葬式にも同じく
彼らの姿発見することができなかった。

ここは四国で、関東からは確かに遠い。

しかし、一度きりのお別れをする機会で、なぜ出席できないのか?
理由はいろいろあると思う。


後日、訃報を知らせた本人たちに
それとなく事情を知ることになった。


その内容を要約すると
葬式前後は予定がないこと。
健康に問題ないことの
金銭的にも問題ないこと。

本とかよ!
僕は少し悲しくなった。

友の最後の顔も見ることなく、人生最後の締めであるお葬式もパスすることに、僕は驚きと落胆との複雑な精神状態にあった。

親友と呼んで交流を深め
お互いを激励し尊敬してきた君たちに

なんと言葉をかければよいのだろうか?

人と人の絆を改めて考える機会となったことは事実でした。

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