鈍い鈍痛と言いようのない寂しさ
ただ歩く。歩くだけ。
自分が、今、何処にいるのかも分からない。
毎日、毎日、それが日課。
自分が、今、何処にいるのかも分からない。
毎日、毎日、それが日課。
痛いのは、足だけではない。
何故か心も痺れて、鈍い鈍痛
来たこともない。
知らない!
来たこともない。
知らない!
馴染みのない、ありふれた風景が、何故か懐かしい。
水が流れ、雲が行く。
人家、集落を離れ、山峡、山間部のありふれた国道歩き。
人家、集落を離れ、山峡、山間部のありふれた国道歩き。
遍路小屋があって、視界の開けた天地に出た。
広がる田園風景を、遍路標識は左折。
そこは田園の中の農道、一本道。
何処へ連れて行くのやら、この先に、次の札所はあるのかな?
山越え、野越え、朝。
高い石段登ってやっと辿り着いたのが、四国41番札所、龍光寺。
持ち込まれた納経帳や掛け軸で、納経所がごった返してる。
それに住職さんは、添乗員さんとの談笑されなららの遅筆。
もう鈍感、心は頓馬に痺れているくせに、矢鱈とイライラ。
それを見透かされたように、
「どちらから?」
声を掛けられた。地元のお婆さんか?
横浜からと答えて、気を紛らさせ、
「いい眺めですね」
雲が流れ、行雲流水、下はみまの集落、高台の札所。
やがて混んでいた納経所も空き、にこやかに、下りてこられた御婦人の方が、言いようのない寂しさに襲われたのは、何故だろう?
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