山に死す

山に死す


僕は山で死んだっていいじゃないかとすら思っている。傍観者たちはそんな人間を迷惑者と罵るかもしれないが、僕はその挑戦を賞賛したい。失敗に寛容で、苦境に立った時に手を差し伸べられる風土が、人も社会も技術も発展に導くことができるのではないだろうかと考える。


誰だって失敗の先に成功があるのではないか。ただ登山の世界では失敗が死だったりもするだけだ。 登山で死んではいけないのだったら、登山そのものを禁止すべきだし、未踏峰の登頂者だって非難されるべきだ。


しかし彼らは賞賛される。成功者には見事に迎合して、失敗者は責め立てるなんて都合がいい。結局はどちらも死と隣り合わせで、どちらも無謀だったかもしれない。結果だけ見て賞賛するのだったら、ドーピングをして金メダルを取ればいいのではないだろうか。だから死んでもいい、ただし登山にはいつも余裕がなくてはならないとだけは、繰り返し書いておこう。 


そうこうしていると寂れた山村が現れた。四国に限らず、日本中こんなところばかりである。少ないながらも会う人みんな人が良いので尚更寂しくなる。もう集落からは人がほとんど出て行ってしまったようで、管理者のいなくなった山神様を定期的に掃除しに来ているおばちゃんに出会った。人気がなく、管理がされていないとトラクターや草刈機などの農機具が盗まれるのだとも。良い値で売れるのだそうだ。

コメント

人気の投稿