走る遍路 すべてに感謝
徒歩へんろから既に六年、私にとってへんろとは何だったのだろう?いつも考えている。もう終わったのだろうか、とも。いや、それほど簡単に忘れ去るほど、決して軽い存在ではなかった。だから、私の中のへんろは、今もまだ続いている。毎日の出会いの中で考え、喜び、怒り、悩むことは、あの旅の日々と同じだ。ただ、痛むのは足ではなく、心だ。痛みに耐えて、しかしただ歩み続けることで、今も何かを探している。この行く手に、何かが待っていてくれる、という信念が、私を歩き続かさせている。 四国をへんろしていると、いつか、お大師さんに巡り合うことが出来る、と言う。
と言っても、そのお大師さんは、なにも僧の身なりをされているわけではない。人によって、いろんな出会いが、後になって大きな意味を持つことがある。そのきっかけを与えてくれた人を、そう言えば、あの方こそお大師さんであったのでは?と思う不思議が四国にはある。今回、拙文と併せ掲載させていただいた写真の方々は、私にとっての「お大師さん」だった。またいつの日か、お目にかかれる日を切望している。 仏はどこにでもおられる。野にも、里にも。そう信じたい。すべてに感謝。すべてに合掌
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