歩いていると見えてくるものがある

走遍路

歩いていると見えてくるものがある。頭に浮かんでくるものは、ただただつらい、足が痛い、本日の予定した目的地はまだか、などたわいの無いものだ。過去、巡り合った人たちのことを思い出すこともある。すでに今世ではお目にかかることもない方たちのことも。その人たちと、自分との巡り合わせの不思議を考え、その意味を考え、どれだけその方たちに対し、誠実であったかと考えることもあった。


そして、時に頭が真っ白な状態、すなわち、ただ何も考えず、ひたすら歩いていた時もあった。 そんな時、名も知らぬ花を見る。自分が過去どうであったかとか、今の自分が置かれてる社会的状況がどうだとか、もう、そんな世のしがらみも意識から薄れ、ただ、歩いて、食べて、排泄して、寝るだけの自分を通してみると、目の前の花一つ、同じ目線で見ることが出来た。花一つの重さと、今の自分と、同じ価値で感じることが出来た。それは愉快でもあり、泣き出したくなるような、喜びでもあった。そんな発見を、心から感謝したくなる。目の前の花が、そんなにがむしゃらに頑張らなくても良いよ、そう微笑んでくれている様な気がする。

始めは恐る恐る体験した野宿も、ある時期から、自然の懐に抱かれ、同化できるような、そんな不思議な幸福感をも感じ始めていた。 こんな不思議な体験を無くして、へんろを語るのは寂しい。霊場から霊場への、スタンプラリーと揶揄されがちな車へんろでは、この貴重な発見は抜け落ちてしまう。

だから、もし、時間的な余裕と、少しだけ無理できる資金と、人並みに歩ける足があるなら、ぜひ歩いて欲しい、と機会あるたびに、人に語ってきた。今まで体験したことの無い、新しい何かが、きっとそこにはあるから、と。それが何であ
るか、各自違っていたとしても。


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