走る遍路 高知市に入る

 



吹きっさらしのところで寝たが、備え付けてあった毛布とシュラフのお かげでぐっすりと眠ることができた。だがシュラフから出るとあまりの寒さの為に動けず、 出発の準備がなかなか進まなかった。六時半には出発したかったのだが出発は結局七時前に なった。野宿で一番辛いのはこの朝の出発準備中の寒さである。

この日はいよいよ高知市内に入る。市内では札所と札所の間の距離が短く、自分の計算で  いくと二八番札所大日寺から三二番札所の禅師峰寺までギリギリ行けそうだと思った。


た だしそれも休む暇なく走り続けてのことだ。僕はひたすら走ることだけに専念し、二八番札所大日寺、二九番国分寺、三〇番・善 楽寺、三一番・竹林寺と走った。

休憩は途中パンの昼食を十分程度とっただけだった。市内 に入り、いくらか車の通りや民家も増え、少し賑やかな雰囲気になった。都会育ちの私は、 都会のほうがどこか安心感を感じるところがある。



三一番札所・竹林寺では、年に一度の御本尊文殊菩薩をお祀りする法要が行われていた。 本堂ではここの住職(と思われる)が信者の前で説法をしていたので、僕は外で少しそれを 聞いた。



説法の内容は福岡県篠栗町の巨刹・南蔵院に及んだ。

南蔵院は、福岡県篠栗四国八 十八箇所霊場の総本山である。

竹林寺の住職曰く、その南蔵院の住職が 高額の宝くじを何度も当てているらしい。しかも当たった宝くじを寄付に回しているのだと いう。因果応報とはこのことではないか。よく、精神世界の本を読むと「与えれば与えら れる」という言葉に出会う。この言葉が真実ならば、南蔵院の住職が何度も宝くじを当てる のも、それは「与えた」からであろうか。



こんな話を思いがけず聞いてしまった僕は、少し だけ「与えれば与えられる」という法則を信じてみたくなったのだった。 



僕は竹林寺を出てから、この日の最終目標である禅師峰寺までただひたすら走った。禅師峰 寺は小高い山の上にある。麓まで来た時はすでに夕方五時近くになっていた。 この日すでに



70キロ以上も走っているのに最後の最後で数百メートルの坂道を駆け上がらなければなかったのはこたえた。


禅師峰寺からは少し薄暗くなった太平洋を見下ろししばし黄昏た。夕暮れになると昼はあれ ほどキラキラしていた壮大な太平洋も憂愁を帯びてくる。一息ついていると、僕は一体何に 突き動かされてこんなことをやっているんだろうという考えがまた込み上げてきた。




僕は人 生の迷いの中にあるのは間違いない。だが、走り歩けどその僕の抱える根本の問題が晴れ るわけでもなさそうだった。せめて、この迷いが、この旅の後に少しでも晴れることだけを 願った。



僕は暗くなっても歩き続けた。途中、高松市内にあるスーパー銭湯高知ぽかぽか温泉でさっそく風呂にに浸る。7 日ぶりのお風呂だっ たので、汚い垢がごっそり取れすっきりした。そして晩ご飯までご馳走になったのだった。


夜は近くにある駐車場の

にある軒下に段バールひいて

お風呂上がりの心地よさですぐさまに睡魔に襲われた。






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