走る遍路 観自在寺
走る遍路
昨夜は一つの東屋の下に四人の遍路が寝ているという有様で、遍路始まって以来初めての 経験だった。僕を含めて二人はテントを張り、一人はベンチでずっと寝袋にくるまったままだった。
この寝袋の人とは、松尾峠を越えたところでまた再会した。遍路スタイルと言えば
素足 に便所スリッパ、それに白いニッカポッカといういで立ちで、そして重さ三十キロはある巨 大なバックパックを背負っており、屈強そうな行者風の人だった。明らかに常人ではない雰 囲気がある。
この人を再度見かけたとき、彼は道端のお地蔵さんに長々とお経をあげていた。僕はこの 人とあまり関わり合いたくないような気がしたので、そっと通り過ぎてそのまま歩いていた のだが、結局はこの人に追いつかれ、それからしばらく二人で歩くことになった。
途中、道の途中にある大師堂を参ったとき、この行者風の男はそこにお供えしている ジュースを勝手に飲んだ。
「一回拝んだら、飲んでも良いんや。 これはな、人に泥棒させないためにあるんぞ。子供が みたら泥棒しているように見えるけどな。 でもそれは違う。」
これはさすがに罰当たりなんじゃないかと思ったが、確かに神棚や仏壇でも一回お供えさ れたものは、頂いていいことになっている。 お供えされたものをそのまま腐らせるよりも、 確かに私たちみたいな巡礼者が有難くいただいたほうが確かに良いような気がして来て、私 は別にお供えされている柿ピーをいただいた。
途中休憩しているときに、この行者風の人は僕の手相をみた。
「お前、手の指の間隔が開いてるやろ。 自由奔放な人間ちゅう証拠や るの、大嫌いやろ?」
お前人に指図され
手相をみるなり、いきなりこんなことを言い出したのである。
「見てみろ、お前の人差し指が傾いてるやろ、これはなお前は人の上にたつ運命にあるって ことや。でもな、それは別にお前が将来社長になるとか、偉くなるということやかならずし
もないぞ。ただ、人の面倒見が良いってことや。」
「それにお前の手をみ見るとな、お前は絶対にデスクワークはできん。 絶対にできん。デ スクワークをする手じゃないんや。 営業も向いてないな。自分でもわかっとるやろ? お前 は身体を動かす仕事やないとできんぞ。」
いきなりこの人は何を言い出すんだと思ったが、頭をガツんと殴られるような衝撃を受けた。
「そろそろ人生の曲がり角やから、しっかり今後のことを考えーよ。俺みたいになりたい か? 俺な、十年もこんなことしよるんやぞ。」
「十年ですか?」
「ああ、俺は十年間、ずっと四国を歩きよる。
わしにはこんな因縁があるんやろう。千日回峰行を二回満行した人と話したことがあるが、『あなたは前世で仏さまと約束してきたん ですね』とか言われたが、わしはそんなもん全然覚えとらん。 だが何の因縁でか俺はこう して十年も四国を回りよる。」
十年も、ほとんどホームレスのような形で、この人は四国八十八箇所を歩き回っているの である。異様な人と出会ったと思った。
僕は歩いている間中ずっと、遍路が終わった後は何 をして生きていこうか考えていた。彼がいうには僕は、デスクワークが出来ないらしい。そ れは確かに自分でも気が付いていた。そんなことを考えているときに、こんな人とであった。 何かに導かれているのではないかと思った。
またしばらくこの人と歩いた。 ほぼホームレスに近いこの人に缶コーヒーをおごっても らった。そしてまた歩きながら話した。僕の母方の家系がお遍路にいったり、篠栗の霊場を 回ったり、真言宗のお寺によくお参りにいくということを話した。
「いいか、男は母方の家系の因縁を背負うんや。 そして女は父方の家系の因縁を背負う。お ごう 前がこうして遍路の巡礼にきているのも、母方の家系の業を落としに来とるんやろう。」
「人間にはな、肉体とは全く別の魂の世界があって、怪我や病気、寿命はしっかり刻まれて この世に生まれてくる。 寿命を延ばすためには、相当の功徳を積まないかん。功徳を積んで いけば長生きできるようになる。 二宮尊徳はだから長生きしたんやぞ。だが人間はな、動物 界に落ちることはあるぞ。だから動物みたいな考えはおこさんことや。」
この人の話は謎の説得力があるように思えた。動物みたいな考えとはなんだろうか。贅沢 な食べ物とセックスのことしか頭にない現代人のことを言っているのだろうか。
話していると、段々寒くなってきたので服を一枚着ようとしていると、この行者風の男は 「じゃあな、俺はもう行くぞ。」 と言って、もたもたしている自分を置いてさっさと行ってし まった。あまり付きまとうなという意味かと思い、僕もあえてその人に追いつこうともせ ずゆっくり歩き出した。
それから暫く歩いていると、彼が僧都川のほとりでごみを燃やしているのをみた。待って いようかと思ったが、彼がこちらに気が付き、手で「アバヨ!」という仕草をしたので、僕は先に行くことにした。この日もうこの人と会うことはなかった。
午後四時くらいに、僕は観自在寺に到着した。
観自在寺をお参りして、納経をもらってから私はここの通夜堂に通してもらった。痛む足を 堪えるような身体で、野宿ではなくちゃんと屋根があり雨風しのげるところで寝られることがとても有難かった。
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