歩き遍路──それは修行の原点に立ち返る行。

 歩き遍路──それは修行の原点に立ち返る行。

札所をただ巡ることではない。納経帳を埋めるためではない。

靴の泥、汗のしみ、膝の痛み。これこそが修行の証である。



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■「歩き遍路は修行の原点」とされる理由:


1. 肉体の苦を受け入れる


 四国霊場1200km。酷暑、豪雨、冬の冷え込み、峠道。

 歩く者は、五体で風土を受け止める。車では通り過ぎる景色に、足を止め、祈り、気づく。

 疲れと痛みを通して、己の弱さと向き合う。それが修行である。


2. 心の遍歴


 歩いていると、次第に心が静まり、やがて煩悩が浮き上がる。

 「あの時、あんなことを言わなければ……」

 「どうしてあの人は……」

 そうした後悔や怒りが浮かんでは消えてゆく。

 歩くうち、やがて思考は沈殿し、感謝や許しの念が芽生える。これは車では得られぬ心の修行。


3. 他者との出会い


 遍路道に佇むお接待の人。

 同じように苦しみを抱えて歩く同行者。

 歩くことでしか得られぬ出会いがあり、その一言、その笑顔が、心を救うこともある。


4. 原始仏教的な修行との共通点


 釈迦もまた、弟子たちに「歩くこと」を説いた。

 乞食(こつじき)しながら村々を巡る「遊行(ゆぎょう)」の形は、まさに草遍路と重なる。

 靴を履いても、文明を背負っていても、「歩く行」に変わりはない。



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歩き遍路は、ただの旅ではない。

修行の原点。

それは足の裏から始まる、心の浄化の道である。



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俳句も添えて:


> 足の裏 痛みを越えて 空澄めり


鈴の音に 煩悩ひとつ こぼれ落ち


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