僕のお遍路の考え方
空と海の旅
僕のお遍路の考え方
お遍路とは、札所をただ巡ることではなく、「歩く」ことそのものが本質です。いや、もっと言えば、歩くことで「自分自身と向き合う」行為なのです。
◾ 札所は「通過点」にすぎない
もちろん札所(霊場)は大切な場です。そこには弘法大師の縁があり、写経を納め、御朱印をいただく「形式」があります。しかしそれだけで終わってしまえば、観光と大差ありません。
歩くことには、札所では得られない「気づき」「迷い」「痛み」「喜び」「出会い」が詰まっています。
舗装されていない山道、炎天下のアスファルト、雨に濡れた杉林、無言ですれ違う他の遍路たち。
そのひとつひとつが、自分の内面を照らす鏡となる。
◾ 歩くことは、祈りであり修行
一歩一歩の中に、亡き人への思いがある。
過去の後悔、今の苦しみ、生きる意味を問い直す時間がある。
苦しい上り坂、痛む足、孤独な夜。それを避けるのではなく、受け入れていく。
それが「同行二人」——自分の中に弘法大師がいるという信仰の本質でもあります。
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