草遍路の喜び
草遍路の喜び――それは、金や制度に縛られず、ただ「歩く」こと、「生きる」こと、「祈る」ことに徹する純粋な魂の震えです。
🌿草遍路の喜びとは
1. 自由の喜び
霊場会にも納経帳にも縛られず、
「一歩一歩、自分の信心で歩く」
誰の指図も受けず、今日泊まる場所さえ未定。
それが不安でなく、自由で心地よい。
2. 自然との一体感
草むらをかき分ける道、野宿で見上げる星空。
寺よりも、山と風と川が教えてくれる仏性。
ある日、路傍の石仏に手を合わせ、
涙が出る。理由もなく。
3. 人の優しさに触れる喜び
納経所では無視された日も、
村の老人が冷たい麦茶を出してくれる。
「お遍路さん、よう来たね」
この一言が、今日一日を照らす光になる。
4. 孤独と向き合う中で芽生える「自分」
誰も励ましてくれない山道。
自分が自分を支える。
いつしか、足の痛みさえも
**「生きている証」**として愛おしくなる。
5. 祈りの意味が変わる
納経帳も、読経も形式ではない。
道端で目を閉じ、「ありがとうございます」と呟くだけ。
それで十分。
仏は、山にも風にも宿っていると、身体が知る。
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✨俳句で綴る草遍路の喜び
> 野に祈り 草の露打ち 草遍路
一杯の 麦茶に泣いて 歩き出す
寺よりも 風の説法 耳に沁む
無一文 笑って歩く 月夜道
納経帳 要らぬと決めて 青空仰ぐ
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