お遍路 ただ歩くこと
四国遍路における「修行」とは、単なる観光や旅ではなく、自らの心身を清め、見つめ直すための行為です。そしてその中核にあるのが、「歩くこと」です。
■ 歩くことは修行そのもの
四国八十八ヶ所を徒歩で巡ることは、現代人にとって容易なことではありません。酷暑、豪雨、山道、街の喧騒、人とのすれ違い――その一歩一歩が、煩悩や執着、怒り、焦り、迷いと向き合う時間です。
> 「足が痛い」「重い荷物」「果てしない道」――それでも、ただ歩く。
これは、肉体的苦行を通して心を整える「行」であり、弘法大師空海の教えを追体験する手段とも言えます。
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■ 歩くことで得られるもの
無になること:歩くリズムの中で雑念が消えていく
自然との一体感:山や海、田畑の景色に溶け込むことで、自己の小ささを知る
自分との対話:孤独な時間が、心の奥底をあぶり出す
他者への感謝:お接待や道の案内に触れ、人の温かさを知る
■ 俳句にすれば…
ただ歩く 汗と祈りと 影ひとつ
土の道 心の垢を 削り落とす
遍路道 風が答える 問の先
遍路とは「歩く仏道修行」。現代においても、それは変わらぬ意味を持っています。
歩くことこそ、真の修行です。
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