草遍路の男
彼のことを、誰かが「草遍路」と呼んだ。あるいは「職業遍路」と。いずれにせよ、それは彼を定義する言葉としては、あまりに簡潔で、そして同時に、あまりに多くの空白を含んでいた。僕が彼について知っていることといえば、ほんの断片的な事柄だけだ。本名は田中幸次郎。遍路名が幸月。手押し車に家財道具を載せて、四国を、そう、まさに歩いて、巡り続けていたという。6年間。逆打ちで。気が遠くなるような時間と、気の遠くなるような距離だ。まるで、遠い星からやってきて、この世界をただひたすら歩いている、そんな風な男のイメージが浮かび上がってくる。
僕たちは皆、何かしらの荷物を抱えている。重さも形もさまざまだ。見えない荷物もあれば、彼のように、手押し車に載せて引きずっていく荷物もある。彼の荷物は、家財道具だったという。つまり、彼の「家」そのものだった。彼は道の上で、家とともに生きていた。道が彼の庭で、空が彼の屋根だった。
彼は何を求めて歩いていたのだろう? お遍路には、様々な目的がある。願いを叶えるため、病気の平癒を願って、あるいは亡き人の供養のために。それとも、単に自分という存在を確認するためか。幸月さんの場合、それはもっと別の、もっと根源的な何かだったのかもしれない。たとえば、ひたすら歩くことによってのみ埋められる、心の奥底の、ぽっかりと空いた空間。あるいは、何かに追われるように、どこかに辿り着くために歩いていたのかもしれない。
彼は2018年の2月3日に亡くなったと聞く。どこで、どのように、息を引き取ったのかは分からない。ただ、彼の旅が終わったことだけが、静かな事実としてそこにある。彼は旅の途中で、息を引き取ったのだろうか。それとも、どこかの道端で、ようやく辿り着くべき場所を見つけ、そこで静かに目を閉じたのだろうか。それは誰にも分からない。僕たちに残されているのは、彼がかつてそこを歩いた、という、かすかな痕跡だけだ。
僕たちは皆、それぞれの場所から、それぞれの理由で、旅に出る。そしていつか、旅の終わりに辿り着く。彼の旅は終わった。彼が手押し車に積んでいた荷物も、おそらくどこかで、静かに横たわっていることだろう。しかし、彼の歩いた道は、もしかしたら、まだどこかに続いているのかもしれない。風の中に、雨の中に、あるいは、僕たち自身の心の奥底に。そんな気がして、ならないのだ。
その男、草遍路の幸月さんが亡くなったという知らせは、四国の、どこかのカフェの、使い込まれたカウンターで聞いた。マスターは、まるで遠い親戚の訃報でも聞くように、静かに、そして少しだけ寂しそうに言った。「ああ、あの人、とうとう旅を終えはったんやね」と。その声には、彼がこの場所を、この時間を、確かに通り過ぎていった、という確かな響きがあった。
彼が亡くなった日、2018年2月3日、その日はどんな日だったのだろう。冬の、冷たい、けれどどこか晴れやかな日だったのかもしれない。それとも、雨が静かに降り続く、灰色に塗りつぶされたような日だったのかもしれない。僕たちは、彼の最期の風景を想像することしかできない。しかし、きっと、手押し車は彼のそばにあっただろう。そして、中には彼の日々の生活、鍋や食器、古びた毛布、あるいはどこかの寺でもらったお札や、誰かから差し入れられたミカンが、いつものように収まっていたのだろう。
彼は、人生のほとんどを道の上で過ごした。あるいは、人生そのものが、彼の遍路だったのかもしれない。僕たちは皆、何かしらの道を歩いている。しかし、彼の歩いた道は、僕たちのそれとは少し違っていた。そこには、決まったゴールも、誰かの期待もなかった。ただ、一歩、また一歩と、自分自身の足で、この世界を確かめていく、そんな孤独で、しかし、自由な旅だった。
僕たちは彼のことを知っていたようで、結局、何も知らなかったのかもしれない。彼の心の中に何があったのか、何が彼をそこまで歩かせたのか。それは、きっと彼自身にしかわからない、彼だけの秘密だったのだろう。そして、その秘密は、手押し車に積まれた家財道具とともに、ひっそりと、道の中に溶けていった。
彼がいなくなった今、四国の遍路道は、ほんの少しだけ、静かになったのかもしれない。しかし、彼の歩いた道は、そこに、たしかに刻まれている。風が吹き、雨が降り、草が揺れる。そして、誰かが、また彼の道を歩き始める。そんな風にして、彼の物語は、静かに、そしてゆっくりと、続いていくのだろう。まるで、誰も知らない、小さな、秘密の、遍路道のように。
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