死とは生きているそばからそこに存在する

死とは生きているそばからそこに存在する

昨夜午前零時きっかり日本橋をスタートした。
日中の暑さを考えれば、夜間は涼しく感じるはずだった。

しかし、この夜は蒸し暑くて品川宿を通過するころには汗が額から零れ落ちていた。


川崎宿は多摩川を越えるとそこにある。色町繁華街の川崎・・・あまり好きではない町である。

水商売にかかわる店員達の呼び込みを避けるように神奈川宿を急いだ。

どうも体調がよくない。
気分が悪くて、昨年同様に"熱中症”の感覚を覚える。

これ以上走りるのは危険と感じて、コンビニで氷を買って頭や身体を冷やした。

しかし、体調は戻らずさらに悪化してしまった。

立っていられないので、近くにあるベンチで横になった。
その瞬間、嘔吐してしまった。

そのとき、間じかの"死”が存在していた。
もうこれ以上走れない・・・身体が動かすことができない。

予定していた富士山トレーニングも中止としてしまった。



そして、元日本代表松田選手の訃報が僕の脳裏に焼きついていた。
そのためが、体調悪化を彼とダブらせていたのかもしれない。

死は、生きるそのときから存在する。

僕はそんな思いを抱きながら、
翌朝までこのベンチの上で身体を横たえていた。

周りの雑音さえ何もその存在を感じなほど意識が消えていた。

日のでは"命”を感じる瞬間だ!
その日差しを静かに眺めていると、なぜか涙がでてきた。

今日も生きていた。
でも、明日は泣くこともないかもしれない。


34歳で逝ってしまった彼はどんな想いで、その瞬間を迎えたのだろうか?

それは、きっと無意識の世界に突然落ちてしまった瞬間ではないだろうか?

ご冥福をお祈りいたします。
残念です。

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