草遍路と呼ばれた男の死



草遍路あるいは職業遍路と呼ばれた男が亡くなりました。
歩き遍路さんとして、有名なその男がいたのをご存知でしょうか?

その男の名前は、
草遍路 幸月さん(本名 田中幸次郎 )

草遍路 幸月さん 2018年2月3日 亡くなる。





幸月さんは手押し車に所帯道具を載せて野宿自炊しながら逆打ちで6年にわたり遍路を続けていました。


2003年6月27日のNHK「にんげんドキュメント」に80歳で出演し、過去の殺人未遂容疑で逮捕され、懲役6年の実刑判決を受けた。

出所後、愛媛新居浜で暮らしていましたが、2018年2月3日新居浜の病院で亡くなりました、95歳でした。

 

この男は四国八十八箇所の逆打ちを、六年続けている生涯遍路の一人としてよく知られ、 通称「幸月さん」と呼ばれる人物でした。
(※逆打ちとは霊場を順序の通りに巡らず逆に巡ること。順打ちよりご利益があるといわれています。)

幸月さんは霊場巡りの道筋の「接待」で命を繋ぎ、野宿を常としていました。
「生きてゆくから歩くんだ」をモットーに六年の間、八十八箇所を歩き通し、 なんと二十八回の結願を達成しています。

その間お接待へのお礼にと、二千冊の自作俳句集を手書きして渡した俳句詠みでもありました。

多くの人に生きる勇気を与えてくれたと称賛された幸月さん。
あるカメラマンはその姿に感動して写真集を出し、 霊場の寺の住職はあなたに本当の仏様の姿を見ますと泣きながら拝んでいました。

その幸月さんのお遍路の姿を紹介した番組「にんげんドキュメント」が放映されたのが、 平成十五年六月二十七日のことでした。

番組では、高知から徳島へと向かう幸月さんの旅路に同行取材しました。

幸月さんのあごひげをたくわえたその風貌に、思わず足を止める人々。
自らもしばし談笑を楽しみ、時折、即興で俳句を詠む幸月さん。


人は何のために生きているのか?どう生きれば幸せなのか?
幸月さんは、そんな根源的な問いをわれわれに投げかけているような気がしてなりません。

幸月さんの遍路の日々を追ったドキュメンタリーには、
共感と感動のメッセージが続々と寄せられたといいます。

しかし・・・
この番組を偶然に観ていたのが、千葉県警の警察官でもありました。
この警察官が「指名手配犯ではないか」と大阪府警に連絡したことから、
ある事件の捜査は急展開をみせはじめました。

大阪府警捜査共助課の捜査員がさっそく四国に出向いて聞き込み捜査を開始し、
七月五日の朝、愛媛県新居浜市内を白装束でお遍路をしている「幸月さん」(八十歳)を発見して逮捕したのです。

「幸月」こと田中幸次郎は平成三年十一月五日の朝、大阪市西成区萩之茶屋一丁目の路上で喧嘩の末、
型枠工の男性(五十八歳)を左胸などを包丁で刺して一ヶ月の怪我を負わせた殺人未遂犯でした。

平成十六年二月二十五日、起訴された無職田中幸次郎被告に対する判決公判が大阪地裁でありました。
十二年余り前の犯行で殺人未遂罪に問われた田中被告に対し、
小川育央裁判長は「四国遍路などで逃走を続けており、刑事責任は重い」と述べて、
懲役六年(求刑懲役七年)の実刑判決を言い渡したしたのです。

お遍路について被告・弁護側は「亡き両親の供養のためだった」
「苦行を自らに課すことで犯行を反省していた」と主張し、執行猶予付きの判決を求めました。
田中被告は公判を通じてお遍路に出る白装束姿で出廷し、
「社会復帰後、再び遍路を続けたい」と述べていました。


未だに遍路の世界では「幸月」さんに同情票も多いのですが、
それは四国遍路という世界が罪のある者もない者もみんな等しく包み込み見守ってくれる。
そういう優しい気持ちに溢れているからだと思うのです。

だからといって、遍路をすることで罪を償ったことには決してならない。

ただ、歩き遍路をすることで生きていくことの厳しさと人間の優しさを知ることになります。

2000日間の遍路旅における地元の方々や遍路たちとの交流、そして旅の中から生まれた人しての共感を誘うのは変わらないと思う。


そういえば、俳人としての「彼」にはこんな句があります。

過去があり未来に繋ぐ遍路哉 幸月

その男のお遍路の旅は、
懺悔と後悔の狭間で苦しんだとボクは確信している。

引用 :南亭雑記








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