学校での体罰を考える。

学校での体罰を考える。

教員は聖職と呼ばれてたが、現代では全く”死語”に等しい。

教員も賃金労働者なのだ。

賃金労働者が、一般市民に対する行為は暴力である。
しかし、教員が学生に対する行為は体罰である

大阪市立桜宮高校バスケット部顧問による体罰問題が、報道機関により大きく批判されている。
ここの高校だけの問題だけの話ではない。

調べれば調べるほど、当然の如くに出てくる出てくる!

教員の体罰による学生の自殺や退学なども少なくないと聞く。これはもう犯罪ではないだろうか?

親から見れば大切な実子が、信頼される教師により虐待されるのは本当に悲しい。
大切な子供たちを慈しみ育てた愛する子供を、突然亡されたご両親の心中を察すると
言葉にもできない。

また、不甲斐ない自分と怒りがこみ上げてくるのではないだろうか?
どうしてその事実を知らなかったのか?どうして教師はそんな自殺にいたる体罰や虐めを生徒に対して与えるのか?

壮絶な怒りがこみあげてくるだろう。
体罰を肯定する教員は聖職者なのか?そしてそれは許されるのだろうか?


また、こんな出来事がある。
退職金が減額される前に1月末で退職される教員の駆け込み退職問題が、一部の新聞や雑誌などで批判する記事も少なくない。

今年3月末で定年退職予定だった教員にとっては、まさかの退職金減額は寝耳に水。
退職金が減額されるのであれば、満額を得るために早期退職を希望することは当然である。

彼らは聖職ではなく賃金労働者他ならいからだ。
しかし、これらの教員が突然早期退職された生徒はどのように説明するのでしょうか?


体罰とは暴力であり、それを肯定する教育現場は司法の介入が必要な時代にあるのかもしれない。悲しいがこれが現実なのだ。



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