雨の城端別院善徳寺


城端別院善徳寺

4月19日金)~21日(日)の4日間は名古屋に行ってきました。いや、正確に言えば名古屋から金沢まで。

目的は、チームメンバー6名が出場する”さくら道国際ネイチャーラン2013”に応援することにあります。
応援の形として、ボランチも検討したのですが、何せ待つのが嫌いな私です。エイドで何時間も待機するのは耐え切れません。

やはり、走り旅で選手を応援するのが一番だと確信し、のんびりと名古屋から金沢兼六園までの旧街道ルートを調べ、途中をエクスケープし、さくら道コースに出没しながらチームメイトだけでなく他のランナーにも激励する事を目論みです。

実績は、以下の通りでした。

4月19日(金):名古屋城グルグル約40キロ
4月20日(土):名古屋~美濃街道~岐阜街道~郡上街道約70キロ
4月21日(日):高岡~南砺市 五箇山トンネル出口~兼六公園まで約70キロ
4月22日(月):美濃市~美濃白鳥まで約50キロ

合計230キロ
http://shirotori.gujo.to/sakuramichi/main.html


レースですが、歴代大会でも一番と言えるほど”悪天候”でした。

山間部は雪と寒さ・・・・そして強風。平野部においては氷雨と強風です。
疲労困憊した選手を、過酷なまでも痛め続けます。

走力だけでなくメンタル敵にも強くなくては、今年のさくら道は完走することが困難ではないでしょうか?
本当の意味でのウルトラマラソンの本髄を見せて戴きました。





城端別院善徳寺@富山県南砺市
善徳寺の創建は文明3年(1471)、蓮如上人(本願寺8世)によって開かれたのが始まりと伝えられています。当初は加賀国(石川県)河北郡井家の庄砂子坂(綽如上人第3子固覚の遺跡)にあり加賀、越中、能登の本願寺門徒を管理する立場で、文亀年間(1501~04)に越中砺波郡山本に移り、更に永禄2年(1559)に城ヶ鼻城主荒木大膳の招きで現在地(城ヶ鼻城跡)に移っています。戦国時代は本寺である本願寺と共に織田信長と対立関係にあり不安定な状況でしたが江戸時代に入ると加賀藩主前田家が庇護し寺領が安堵され越中国の真宗寺院の触頭役として寺運も隆盛します。江戸時代を通して大きな火災が無かった為境内は当時の姿をよく留めていて本堂(宝暦9年:1759)、太鼓楼(宝暦9年:1759)、鐘楼(天明元年:1781)、山門(文化6年:1808・三間一戸、入母屋、本瓦葺、楼門)が富山県指定重要文化財に指定されている他、唐金燈籠と梵鐘が南砺市指定有形文化財に、庭園が南砺市指定名勝に、境内林が南砺市指定天然記念物にそれぞれ指定されています。寺宝も多く前田家縁の品々や古文書、什宝物、法宝物など1万点以上所有しているそうです。

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