3.11 此処より下に家を建てるな  東日本大震災


あれから三年が経ちました。

本日は3.11を迎えたました。
亡くなられた全て人達に、ご冥福をお祈り致します。
ただ、これまでの歴史からも分かるとうり、これからも津波が襲うことは間違いありません。

人工物の防波堤建設を再び行うことは、今回の震災でその無力であることが理解されました。
沿岸に住むのではなく高台移住などの抜本的な行政指導が求められます。

自然の力は、人間の過信など粉々にさせました。同じ過ちだけは避けねばなりません。


東北地方における大津波の歴史


 

明治29年三陸沖地震津波
明治29(1896)年6月15日午後7時32分、釜石東方沖を震源地とするマグニチュード7.6の地震が発生。津波によって死者1万8,158人、流出倒壊家屋6,882戸などの大被害が発生しました。中でも釜石地区の被害がひどく、人口約6,500人の釜石町(当時)で死者4,000人以上、流出全壊家屋は約900戸(当時の全戸数は約1,100戸)という甚大な被害を受けました。また吉浜(大船渡市三陸町)では最大波高24.4メートルを記録しています。
昭和8年三陸沖地震津波
 昭和8(1933)年3月3日午前2時31分、釜石東方沖を震源地とするマグニチュード8.3の地震が発生、宮古では震度5を記録しました。津波は明治29年に次ぐ大きな被害をもたらし、死者1,408人、行方不明者1,263人、流出倒壊家屋5,435戸。中でも田老村(当時)では500戸あまりの全戸数のうち高台の10数戸を残しただけで、死者・行方不明者も1,000人あまりの大災害となりました。
昭和35年チリ地震津波
昭和35(1960)年5月23日午前4時11分(日本時間)、南米・チリ中部沿岸に大地震が発生し、地球の裏側からおよそ22時間30分から23時間かけて太平洋を横断した津波が日本の太平洋沿岸を襲いました。最大波は翌24日の午前5時から8時に発生、野田湾や広田湾では6メートル以上に達しました。県内の死者は55人、行方不明者6人、流出家屋は472戸、全半壊は1,511戸、床上・床下浸水は4,653戸に達しました。


昭和8年の津波の後、この石碑を建立した。
経験から得られた教訓を「教え」として石碑に刻みこむとともに、集落を石碑より高い地域に移転することになりました。

 そして、平成23年3月11日の東日本大地震を迎えます。
 津波は、石碑の手前まで押し寄せましたが、石碑の教えを守った姉吉地区の皆さんは一人の犠牲者も、また家屋の被害もありませんでした



 このことからも明らかなように、昭和8年の三陸沖地震津波から78年後の東日本大震災において先人の教えを実行することの大切さが実証されたのです
   

この事実を真剣に検討して、海岸に居住するリスクを啓発しなければならないのです。

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