心の安らぎを求めて



美人も三日も見れば、飽きてくる。


よく聞く言葉である。

ある男が美人の彼女を射止めるまでの苦労が、ようやく実現して奥さんとして迎える。

周りの人間は”すごい美人な奥さんだね”と、他の男達の羨望の的となっている。

しかし、その男にとっては見飽きた顔である。

美人だといわれても、昔みたいな感動や喜びなどの感覚がなくなってきているので、まったく
実感として認識できなくなっていた。



これは例えだが、人間の煩悩のひとつに、欲がる。

欲といっても、その定義は広くてなかなかひとつの物差しで解釈することは難しい。

肉欲、物欲、禁欲などがこの欲の範疇にあるだろ。


人間の欲は、どうしても欲しい物への格闘に近い。
いざ、その物を手に入れたとしても数日後には当たり前となり、なにひとつ感動を覚えないない。


その事実が当たり前になること・・・・すなわちに日常的な精神状態にあること。


そして、ひとつの欲を達成すると、次の欲がどすぐろく心の中から湧いてくるのだ。

新たな欲がそれだ。


人間の欲とは限がない無縁地獄と同じで、死ぬまでこの地獄の淵で右に倒れたり、左に倒れたり

精神的な安定を保つことができない。


人間は何と欲が深く、自己中心的な生き物だろうか?



人間の業を知ると、世界情勢や社会現象が説明できるのだ。

すべての事件や戦争などが、この欲に起因していると言っても間違いない。

ある者はお金ほしさに人を殺す。
あす国は利権が欲しくて他国を威嚇したり、侵略を繰り返す。


一握りの人間の欲望が、一国の民衆を殺戮しることも珍しくない歴史だ。

そうだ、現代までの人間の歴史はどうだろうか?


人間の煩悩にひとりの人生が振り回されるのだ。





人間はすべて平等である。

人間の命は地球より重い。

人間はどんなことでも話せば理解できる。


これらの嘘ごとを信用する者などいないと思うが、裏を返せば人間の深淵的な欲が存在するのだ。



僕の身近な話をしよう。
ランニングは、僕にとって生活の一部である。

そんな中でふつふつと物欲が湧いてくるのである。

GPS付時計が欲しい!

そんな衝動的欲望が、物を購入するという行動を起こす。
手に入れたときの欲望達成の瞬間は、大きな喜びとなって脳裏を占める。

しかし、いざその商品を手に入れて数日が過ぎると、当たり前になってぞんざいな扱いとなってしまう。

そして、次に欲しい物があらわれてくる。

無限地獄の始まりだ!




再度、僕は考えた。
これは本当に必要な物なのか?と・・。

その答えは、NOである。

物を持たないことが、欲から開放され人間の心の安定と安らぎを得ることができるのだと確信するのだ。


こころ静かな心を取り戻すために、もう一度今おかれた心と向き合うことにしよう。



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