僕の禅的生活

僕たちは絶えず、何かを求めている。
それはお金であり、女性であり、 車であり、家であり、出世や昇進などである。
求めるものは無限に広がる蜃気楼のように、いくら手を伸ばしても掴むことできない幻影のようなもの。
つまり、何かを求めるとは、・・・金銭欲であり、肉欲欲であり、物欲であり、名誉欲等である。
それは人間の業である。
現在の自分に欠けている「しあわせ」を 追いつづけている。しかし、一生懸命に「しあわせ」になろうとしている僕たちは、いつまでも得られることはない。
「しあわせ」になろうとしているうちに、「しあわせ」とはいったいなのか、ということも、今の自分 は実に幸せの中にいるのだ、という現実も分からなくなってしまいます。
僕は考えた。いったん、何かを求めることを止めなければならないと。
その答えとして、僕は禅的な生活を提唱する。


若い頃はどう生きるか、将来が見えず迷いそして悩んだ。


世の中が思い通りにいかない。だから、いっそ自分を変えてしまえばよいのだと理解するまでには多くの時間を必要としなかった。

毎日の生活をちょっと変えるだけで、身軽に生きる術がある・・・それが「禅的生活」である。

では、禅的生活とはどんなものなのか?ご紹介しよう。



日々是好日(にちにちこれこうじつ)
この語は中国の唐未から五代にかけて活躍された大禅匠、雲門文偃うんもんぶんえん禅師の言葉です。
たぐい希な、鋭い機峰と、すぐれた禅的力量の持ち主であった禅師は、簡潔な語句を駆使して、自由闊達に禅を説きました。
日々是好日は雲門禅師の悟りの境地を表した、最高の言葉であります。
毎日いい日が続いてけっこうなことだ、などといった浅い意味ではありません。
一般に私達が、今日はよい日だ悪い日だという場合、天気だけでなく、お金が儲かった・損をした、よいことがあった・嫌なことがあったなど、そんなものさしで判断します。
しかし、これは優劣・損得・是非にとらわれた考え方です。
それではたとえ、ある日幸運が訪ずれても、その後に来る不運に脅えなければなりません。
日々是好日とは、そんなこだわり、とらわれをさっぱり捨て切って、その日一日をただありのままに生きる、清々しい境地です。たとえば、嵐の日であろうと、何か大切なものを失った日であろうと、ただひたすら、ありのままに生きれば、全てが好日こうにちなのです。
好日の好は好悪こうおの好ではありません。「嵐か、よし、嵐なにするものぞ!」、「失ってしまったか、よし、どうにかこれを改善しよう!」と、積極的に生きる決意 "よし" がこの "好" なのです。
禅では、過ぎてしまったことにいつまでもこだわったり、まだ来ぬ明日に期待したりしません。
目前の現実が喜びであろうと、悲しみであろうと、ただ今、この一瞬を精一杯に生きる。
その一瞬一瞬の積み重ねが一日となれば、それは今までにない、素晴らしい一日となるはずです。



嬉しい事があった日も、嫌な事があった日もそれは二度と繰り返す事の無い大切な一日であると言う意味。

その日を「好日」にするのは、起こる出来事でも、出会う誰かでもなく、自分自身なのだ。

たとえ同じ事が起きていても、受け止める心次第で、イメージは変わって来る。
起きてしまった出来事は変える事が出来ない。しかし、どうとらえるかは全て自分で決める事が出来る。今日一日を「好日」として締めくくろう。


知足(ちそく)

知足とは、“足るを知る”の意味。
老子からの出典である。
宗教、特に禅宗では、人間の欲を戒めるために、よくこの言葉を引用するようです。“足るを知る”とは、字句のとおり、充分に満ち足りていることを知り、不足感を持たないということです。

 人間というものは欲が深く、“足るを知る”ということがないようです。人間は、満足するということを知らず、充分な金や物を得ても、さらに欲張って、『より多く、もっと欲しい』と、自分に快楽をもたらすものを際限なく追い求めるようです。この世に生きるほぼすべての人間がものに飽かされるということを知らず、『もっと、もっと』と、金や物、名誉や名声、地位、権力などの現世的な功利を求めて奔走すると言っても過言ではないでしょう。




お金に縛られない

読んで損のない本をご紹介しましょう。


禅とマネー 仏教に学ぶお金との正しい付き合い方(生田一舟著)


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もう、お金のことで悩まない!
大手都市銀行に20年以上勤めた経験を持つ禅僧が、仏教的な見地から、お金とは何か、そして正しいお金との接し方(稼ぎ方、使い方、貯め方、借り方、相続のし方・させ方など)を、わかりやすく説く。

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お金は特殊なエネルギーである。
「エネルギー交換が、あらゆるレベルで次々に生じて、回り回って、普遍的に行き渡ろうと流れるのが、お金の交換という現象といえます。現代のお金は、こうしたエネルギー交換の手段であるお金に、金利という時間の要素が加わったものなのです(略)古来、人がなぜこれほどお金に執着するのかを考えたとき、この生命に似た一種のエネルギーであることが、無意識に人々の中に了解されているからだと考えられます」というのは、『禅とマネー 仏教に学ぶお金との正しい付き合い方』(引用:生田一舟著/アスペクト刊)


人生の真理は『苦』である。
つまり、いかなるものも思う通りにならないのです。人間の欲も思い通りにならないのが真理です。思い通りにならないものとしっかりとわきまえつつ、お金に執着し過ぎずないことが重要です。





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