Day 3:Shikoku Pilgrimage 四国霊場108番所巡礼乃旅1400km 修行の道場


Day 3:Shikoku Pilgrimage 四国霊場108番所巡礼乃旅1400km 修行の道場
****旅 程22:平等寺〜23番:薬王寺〜(別格04鯖大師:八坂寺)〜24番:最御崎寺** ----------------------------------------------
行程は約104km**
2016年5月19日 晴れ

昨夜の野宿場所は、道の駅わじらを午前4時過ぎに起床してた。 まだ野宿に慣れていないのか、路面にシートを敷くだけでは やはり翌朝になると肩や腰が痛む。 いよいよ発心の道場;阿波の國を越えて、修行の道場:土佐の國に入る。

第23番札所薬王寺から室戸岬の第24番札所最御崎寺までは85キロの距離があり、四国霊場での札所間では二番目に長い距離である。 今日の大きな難所になりそうであり、一番印象深いコースでもある。

薬王寺を打ち終えれば、「発心の道場」と言われる阿波一国を廻り終えたことになる。四国八十八箇所の道場は、土佐国「修業の道場」、伊予国「菩提の道場」、讃岐国「涅槃の道場」と続く。
 今になって考えてみれば、阿波の札所は苦しみに耐え抜く道場であった。この先も、まだまだ難行苦行が続くのである。 ウルトラ的走り旅の楽しみを覚え、その延長線上でと軽く考えたお遍路の旅であったのだが、走るだけでなく歩くことでも途轍もなく苦しいことなのだと教えられたのが発心の道場である。
  土佐は修行の道場である。
僕の修行とは、 走り遍路は各札所は目標であり、走ること歩くことが目的なのであり、 先に逝った友への慰霊すること・・・これが修行なのである。




広辞苑によれば、
発心とは、発意、発起、菩提心を起こすこと、即ち仏を信じる心になること。

確かに発意してお遍路の旅に出てきたのだが、この時になっても、仏を信じると言うことの概念すらも理解できていないのが本当のところである。

既に、23番までの各札所を巡拝きたのだから、邪念、雑念、妄念の三つや四つは落っことして来ても良さそうなものだが、私の心には、一向に変化が無く、そんな気配すらも無い。

 しかし、土佐の国「修行の道場」を走り終えたときには、邪念も妄念も消えて、ちょっとばかりの雑念を残した私になっているかも知れない。
そうならなければいけない。こんなにも孤独で、苦しい遍路を続けているのだから・・・。 苦しい遍路とは、究極的には長い長い遍路道である。 悪路や激坂、峠越、山越えなどではなく、とにかく長距離の遍路道が 走る遍路には辛い修行となる。

その辛い修行の道場として、第23番札所薬王寺から第24番札所最御崎寺までの約80kmが、今日の大きな難所になる 。

歩き遍路だと、通常は2泊3日の旅程となるが、僕は覚悟を決めた。

1日24時間で室戸岬に到達しようと覚悟を決めた。
理由は簡単です。ほぼ平坦で国道であり、走り安いことにあります。
徹夜ランで翌朝までには室戸岬突端にある最御崎寺へたどり着くことにした。
第22番札所平等寺に向けて午前5時過ぎにスタートして、 とにかく室戸岬までの約100kmを明日の朝には到着することだけに集中しなければならない。
特に時間が惜しい。
20日間で四国霊場108を一周する走り遍路には、無駄な時間は極力さけなければんらない。
第22番札所薬王寺を巡拝すると、再び山間部へと遍路道が続く。 緑深い森の中を拭く風は心地よく、市街地の遍路道の閉塞性より開放感と 癒やしを感じる。
ただ、激坂を登る辛さもあるが、辿り着いた頂にに立てばそれもまた 同じような感動が生む。
つまり、自分は行きているのだ!そして、生かされているのだ!と本当に心底から感じることができる。

由岐坂峠

由岐坂峠の下りに差しかかった所で、大きな感動となり僕を迎えてくれた。
遠くに陽光輝く太平洋が見えたのだ。
「海だぁー!!」
遍路を走り始めて初めて目にする海。 山越えを続けて来た身には、なぜか海が恋しい人にでも逢ったよに 心弾む。
歩き遍路さんも同じような気持ちに心包まれるとはずだ。
色彩も同じく心を映す。


世界観
緑の空間から、暗闇に潜り、再び緑の空間がまぶしい光とともに、浮き上がってくる。
山と海の入口と出口は、明と暗、暗と明が融合する接点なのだ。  二つの相対するものが融合する接点を般若心経が説く「空」と言う概念と捉えて良いのかもしれない。
接点は質量の無いゼロの位置なのだ。 有から無へ、無から有へ。明から暗へ、暗から明へ。人間はその狭間で揺れ動き、行ったり来たりしながら暮らしている。
お遍路の旅は苦しいこと、楽しいことの繰り返しだが、苦がなければ楽しいことは無い。
全くの表裏一体の世界観である。

第23番札所をお昼頃に巡拝後、 目指すは、一路80km先にある室戸岬にある御最崎寺だ! 起伏のある国道を辿り、幾つかのトンネルを抜けて 日差しの強い乾ききった舗装道には飽きてながら、名も知れぬ山々の緑と川のせせらぎ、野鳥の鳴き声は、僕の消失感やイライラ感を 宥めてくれる。
疲れた脳の中に、高僧の言葉を思い出していた。

有無
世の中は二つの相対するものが組み合わされて出来ているという。
天と地が一つに融合することによって、万物が豊かになり世界の平和や家庭の幸福が実現する。
天と地、陰と陽、明と暗、干と支、プラスとマイナス、有と無。プラスが有るから、マイナスが存在する。有がなければ無はない。
いろいろと生きることでの気づきを知る機会が遍路かもしれない。
室戸岬へと続く国道55号線は、霧に霞んだ半島の突端にあるだろう御最崎寺まで起伏多き海岸を沿うように遍路道は続く。 単調な風景であり、遍路そして辛くて苦しい道である。 この遍路道は僕にとっての最初の苦行道場とるのだ。
廃屋と空腹
まず気づいたことは、人影が無いことだ。 どんな大きな集落でも小さな集落でも人がいない。 人が住んでいないような廃屋が目につき、荒れた畑も多い。 旧遍路道は国道を避けるように、そんな集落を縫うように存在する。
当然だがコンビニもなければお店もないし、商店もなければ食堂もない。何も無い世界とはここを指すのかもしれない。
一番困ることは、食べることができないこと。 都市部へ住んでいれば簡単にコンビもあればおしゃれなレストランが当然のように存在している。そんれが当然でありあるべき姿が この地には無いのだ。
食料確保することがサバイバルだと、初めて知る。 国道55号線も同様で、車の往来は激しいものの 沿線にある食堂や商店は閉店されており、ほとほと困ってしまった。
暑い海岸線の国道を走ると汗は出るが、汗を補う水分補給も困難極めるのだ。 次の自販機まで10km先とが当たり前で、ガス欠状態でのこの距離は 暑さのせいもあるだるだろうが本当にしんどい遍路旅だと思った。
だが、水分補給はかろうじて可能である。公園のや渓流の水飲み場で 満たすことも可能だ。 しかし、問題は食べること。 朝食は、事前に購入していたおにぎり3個だけで、昼食は食べていない。食べいたいというと自分の意識的な行動だと思うかもしれないが、そうではない。
食べる物を売る場所・・・つまり人がいないのだ。
当然、食べられない。ガス欠状態で室戸岬近くあるシレスト室戸に午後8時前に辿り着いた。
ここの施設は地元でも人気ある日帰り温泉である。 絶対に売店があると確信で、喜び勇んで突撃したのはもちろんだ。 難儀な汗臭さとダメージ大きな空腹を満たしてくれる「シレスト室戸」だ!
*シレスト室戸 http://www.searest.co.jp/*

シレスト室戸
飛び込んで目に映るのは、受付に立つ男性職員だった。 事前に看板でレストランありを確認していたので、まずは空腹をみたさなえればならない。こちらも必死だ!
”すいません!レストランはどこですか?”と受付の男性職員に急ぐように質問した。 ”申し訳ありませんが、レストランは閉店時間です。”・・・・。
その絶望たるや他人には言えない。オーダ−ストップが午後7時30分まで・・・人生は残酷だ。 食べる物がなければ、汗を流そうと お風呂の場所を聞くと”お風呂は午後8時までです!”とさらなる地獄が待っていた。残り時間15分だ。
入浴料金380円は支払い、湯船に直行したのはもちろんである。
室戸岬沖合の深海数千mの底から温泉を汲み上げているらしく 湯が塩辛いのは愛嬌だ。 温泉を堪能したのはよいのだが、空腹は満たされていいない。 レストランは閉店しているし、残された時間は残り5分。
売店を確認すると、おみやげなどは陳列されているが食料らしきは販売していないようだ。でもお菓子はある! 喉も乾き泡酒も欲しい!
結局何を食べたかは、これだ!
ポッキ1箱
ノーアルコールビル1缶(350ml)
アイスクリーム1個
以上
お酒は売っていいませんでした!
シレスト室戸の営業時間は午後8時。
蛍の光のメロデーが館内流れ、地元のお父さんや親子、ライダーらしき若者達 。
僕といえば、野宿場所を探さなければならない。
お客さんの姿が消えた午後10過ぎに 、温泉施設の軒下で野宿することにした。
とても風が強くて 木々の擦るきしみ音や往来するバイク音、そして海の潮騒が今夜の子守唄。耳元にはエアコンの室外機が数台設置されて 真夜中に間欠的運転する爆音には悩まされた。
夜空の星と輝く月を見ながら ここまでの追憶に、いつのまにか僕は寝ていた。
空腹は満たされてはいないが、心は穏やかだ
つづく

参照
四国霊場八十八箇所 距離
四国八十八箇所*の道
四国別格20霊場の道
資料




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