Day4:hikoku Pilgrimage 四国霊場108番所巡礼乃旅1400km 苦行の雨風


Day4:hikoku Pilgrimage 四国霊場108番所巡礼乃旅1400km 苦行の雨風
旅程:24番最御崎寺〜25番津照寺〜26番金剛頂寺〜27番神峯寺〜安芸市 土佐くろしお鉄道球場前駅
天気 曇り後雨
距離 約73km 
累計距離 285km

シレストむろと
午前5時前に硬いコンクリート製の床を転がるように目が覚めた。 今日の天気が気になる。 走る遍路にっとて天気予報のチェックは大切だ。
スマートフォンに映しだされる本日の天気予報では午後から 天候があれるらしい。
強い低気圧が四国に接近していた。 昨夜はまともな夕食もまともに摂ることができず、 空腹から夜間は何度も目が覚めた。
駐車脇に置かれた自販機で缶コーヒで、空腹を満たすしかなかった。 出発してすぐに室戸岬が現れた。
室戸岬は安芸山地が太平洋に落ち込む南端で、太平洋に向かってⅤ字型に突き出している。海岸段丘の海沿いに、奇岩や岩礁の間を縫うようにして遊歩道が整備され、両側には亜熱帯植物が繁茂していた。
 最御崎寺は、この室戸岬の頂上に近く、海抜150メートルの位置にあり、その麓に駐車場があった。トイレもあり洗顔と歯を磨き 朝の日常的な活動が始まった。
そんな中一人の若いライダが現れた。
同じよに朝の務めをするのだろうと思った。
”おはようございます。お遍路さんですか?”と、不意に言葉をかえてくれた。
歯ブラシを取り急ぎ蛇口で洗い、数回のうがいを早めて返事をしなければならない。
”おはようございます。歩き遍路でなくて走り遍路で、四国霊場を巡拝しています。”と、これまでの四国遍路の発心からここまでのドラマを語り始めた。
若者は、商用バイクで四国一周をしているらしい。
荷台には大きなブルーシートに包まれた青い塊が幾重にも紐で固められた。
”今朝は海岸沿いに野宿しました。お金が無いので野宿旅です。よかったらこれを飲んでください。” 右手に握られて物は、缶コーヒであった。
どうやら若者は僕にご接待として、僕に歩み寄ってくださったのだ。 四国霊場はお遍路さんに優しい。

どんな時でも目が合えば言葉をかけてくれる。 ”大変ですね!”とか”ご苦労様です”などは日常茶飯事の出来事。 そして旅人も同じように心やさしく接してくれる。
四国霊場とは不思議な道場の地だと、その意味が徐々であるが理解できるようになる。 歩き遍路や僕などの走る遍路 自分だけの脚力で、四国霊場1200kmを通しで巡拝することが いかに苦行であるか知っているのだ。
若者も自転車で遍路した経験があると聞く。そして 歩き遍路の辛さや孤独を知識でなく経験済みなのだろう。

駐車場裏より 遍路道の登山口があった。
最御崎寺の麓に御厨人窟がある。弘法大師が19歳のとき、この洞窟にこもって修行し、苦行のはてに成就することが出来たという場所である。
この頃の大師は「無空」と称していたが、そのご「如空」に変え、さらに「教海」、そして22歳で「空海」と改めている。


**第24番札所 最御崎寺**
太平洋が丸く全景を見る機会はそれほど多くない。
最御崎寺から臨む大きな太平洋に心底感動する。 波紋のように打ち寄せ波が幾重にも幾重にも あの地平線のかなたからこの地までたどり着く。 なんと壮大はドラマであり、僕の些細な心に響く。
人間て何でこんな小さなことで悩むのか?
小さな悩みがますます大きくなり、孤独感に襲われる。これは危険な領域に脚を運ぶ。
この大きな海原の活動は、人間の生まれた場所だ。海の鼓動のような海の波紋が、僕の心臓の鼓動と同期したように癒される。
室戸岬は、弘法大師が若き時にこの地で修行されたと聞く。 やはり、と思う瞬間だ。 最御崎寺の麓に御厨人窟(みくろど)がある。 弘法大師が19歳のとき、この洞窟にこもって修行し、苦行のはてに成就することが出来たという場所である。
この頃の大師は「無空」と称していたが、そのご「如空」に変え、さらに「教海」、そして22歳で「空海」と改めている。
太平洋の海原と、限りない青空が広がっていて、「空海」の名に相応しい壮大な風景を楽しむことができる。 最御崎寺で御朱印を頂戴し、室戸スカイラインを下ることにした。

地平線の海原になびく黒き雲は 激しい雨が降り出しているのだろう。 その黒き雲の触手が室戸岬にも近づいていた。  
山肌にへばり付くようにして、コンクリートで固められた九十九折のスカイラインは、麓から眺めると巨大で不気味な様相を見せている。
亜熱帯植物が生い茂っている自然林の中に、そこだけが異様な姿を見せ、自然破壊の典型を見ているようである。
四国霊場には似つかわしくない造形物でしか、僕には映らない。 津照寺 海沿いに整備された国道55線を再び歩き始める。 太平洋の荒波がテトラポットに激しく打ちつけ、砕かれては飛び散っていた。海にはエネルギーがある。
エネルギーを凝縮させた波が、岩礁を打ち砕き、巌を飛ばし怒号する。 その強烈なエネルギーが、軟弱者の僕に檄を飛ばしている。
邪念、妄念、雑念を払拭しろっ。
海からの波しぶきかと濡れた肩に水滴を感じた。 それは雨だった。
風も少し強くなり遍路道である海岸に沿った防波堤の走る先には黒い雨雲が壁のように見えた。 避難場所もなく、ただ防波堤の遍路道を辿る。
雨粒はますます大きくなり、ビーニール傘に落ちた雨粒が 足元を濡らした。 約5kmくらいの防波堤を過ぎた頃は、下半身はずぶ濡れである。

**第25番札所 津照寺**
津照寺は町中にあって、室津港の脇の小高い山上にある。 本堂へは108の急な石段があり、境内からは、眼下にコンクリートで固められた室津港を見渡すことが出来る。 地元の人たちは津寺(つでら)と呼んでいる。
「津」は、船舶が碇泊するところを意味し、人々が集まる場所を指す。海の恵みで暮らす人々によって支えられてきた寺である。  
午後2時頃、強い雨は激しい雨と変わった。 さらに雷鳴が轟きわたり車道も歩道も川のように  足元を濡 らしていく。 四国遍路で一番辛い一日が待っていたようだ。 そして、また自分が試されていると気づいた。 できれば雨宿りした気持ちもある。少し休憩したいとも、楽になりたいとも弱い自分が語りかけてくる。


**第26番札所 金剛頂寺**

雨に濡れる平坦な市街地に沿った国道を走り続ける。 濡れた金剛杖は水分を吸っていつもより重く感じた。 田園の中を通り過ぎると、雑木が生い茂る坂道に差し掛かった。
金剛頂寺は海岸段丘の上にあり、この坂道がかなりきつい。 雨に押された坂道も同じよう天から降る滝のように 加速した流れが足元は歩幅を狭くして登るしかない。 濡れた衣服は冷たく、凍えながら金剛頂寺を目指した。
神峰寺までは30キロの道のりがあり、激しく降る雨と強い風では今日中に辿り着くのは不可能しれない。 行ける所まで走って途中で野宿する場所を探す覚悟はできている。 金剛頂寺のことで、二十四番札所の最御崎寺を通称東寺といい、それに相対しているので西寺と呼ばれている。

**奈半利町**

海沿いに整備された国道55号を、ただ、黙々と走ている。
ここまで抑えていた空腹には勝てなかった。そういえば朝から何も食べていない。
自販機で水分補給することは忘れなかったが、 食べ物はまったく無い。 この町は少し大きなな町でコンビニもあれば飲み屋や食堂もあるらしい。いろんな看板が眩しい。
先程からお腹の虫たちがグウグウと鳴っている。久しぶりの経験で、つい笑ってしまう。 弁当屋のホカホカ弁当のお店を発見した。
コンビニの弁当では飽きるので、出来立ての弁当を食べたかったので すぐさまにお店の扉を開けた。 注文したのは、ハンバーグ弁当 出されたハンバーグ弁当は店内のカウンターで遅めの昼飯を頂く。 この雨ではとても外で食べたいとは思わない。

**第27番札所 神峯寺**
午後4時頃、強い雨は激しい雨と変わった。 さらに雷鳴が轟きわたり車道も歩道も川のように  足元を濡 らしていく。
四国遍路で一番辛い一日が待っていたようだ。 そして、また自分が試されていると気づいた。 できれば雨宿りした気持ちもある。少し休憩したいとも、楽になりたいとも弱い自分が語りかけてくる。
土佐くろしお鉄道球場前駅

安芸市に入ったのは午前6時過ぎだった。午後からの強い風にビニール傘を折られ、横殴りの雨にも
全身ずぶ濡れとなり心も折れる。
安芸といえば、阪神タイガースの春キャンプで有名な地であり、それしか連想することはない。
日没も迫り、さてどこに避難して野宿をするか??走り歩きしながら、そこらあたりを凝視していた。
土佐くろしお鉄道球場前駅は国道脇に高架した駅であり、単線で駅舎はホームにひとつしかない。
コンビニも近くにあり腹ごしらえのため、雨宿りすることにした。
駅前は球場駐車場があり、駅側に大きな東屋を発見した。
水洗トイレもあり照明もあるようでの野宿するには最高のロケーションである。
折れた傘を必死で抑えながら、その東屋に飛び込んだ!

すると男女の人の声が聞こえていた。
僕は想定外の出会いに驚いた。バツが悪いことは承知だった。
右手には濡れた金剛杖、左手には折れてくたびれたビニール傘
頭の上からずぶ濡れで、強風のために髪はスズメの巣のように爆発していた。」
そんな僕が突然と現れたので、その人たちもしばらく驚いたようで、凍りついた時間が数秒間続いた。
”お遍路さんですか?”と、50歳代と思われる男性が尋ねた。
東屋は長ベンチがL型に設置されていた。それも二段だ。
男性5名、女性3名が東屋にいた。方言から地元の人たちだった。
どうやら僕と同じように雨と風を避けるために、しばしこの東屋に避難していたのだ。
”はい、歩き遍路ではなくて走り遍路で、四国霊場を巡拝しております。”と様子を伺いながら答えた。
彼らは走り遍路に興味があるようで、いろいろと質問をしてきた。例えばなぜ走り遍路なのか?
遍路に出旅する訳は?宿はどうするのか?経費はどう?仕事は何ですか?子供が?など
僕の身上調査が終わると、自分たちのことを語り始めた。
彼ら5名は年に一度この場に集まり、懇親会つまり酒盛りをしているのだ。
後から3名が遅れてやってきた。方言なまりの会話に難儀はしたが、理解することはできた。
ひとりの男が尋ねた。”お酒は飲むの?”
”少し飲みますよ。特に麦酒は大好きですね”と、世間並みな返答した。
彼は脇に置いていた大きなビニール袋に手を突っ込み、ゴゾゴゾとなりやら探している。手が止まった途端に、ビニール袋から出された物は缶ビール二缶。
”どうぞ!飲んでください。ご接待しますよ!”と黒ずんだ顔の目はやさしかった。
”つまみもありますので、一緒に飲みませんか?”
またまた想定外の展開になってきたと僕は思った。
駅前のコンビニで買ったものはビニール傘、缶ビール2缶、つまい数袋、おにぎり数個など。
飲める準備はできていた。
女性三名の年配の女性陣はいつのまにがいなくなっていた。
夕暮れの雨降る駐車場と強風の吹く泣き音、滝のように横殴りの雨音を酒の肴に
僕は彼らたちの仲間のひとりなり、酒を飲み交わした。
しかし、不思議な出逢いでさる。得体のしれないかつどこの馬の骨かも知らぬ僕が、こんなにご接待をいただくのである。

僕がただの遍路さんであるだけで、労いの言葉と優しい笑顔、警戒心もなく僕に接していただくのは
本当に心あたたまるものを感じる。
時計を見ると、すでに2時間が過ぎていた。
どうやらお開きとなり、彼らもここで解散らしいと思ったが、次のお店で飲むらしい。
”明日明け方まで飲むよ! 一緒に来ないか?”と彼らは僕に進めるが、丁重にお断りした。
!”つまみが残っているので、すべてお接待で差し上げます”

長ベンチに散乱していたおつまみを一袋にまとめて、僕に手渡してくれた。遍路は絶対にご接待を断ってはいけないという暗黙のルールがある。快くお接待を頂くとする。


宴も終わり、彼らは東屋の床を掃除し始めた。置かれた箒や塵取りを器用に各々に分担して
丁寧に落ちたつまみなどを履いている。
足元もふらふらになりながらも、その姿に感銘した。
彼らの別れ際、ひとりひとり握手を交わし、そして熱いハグをしながら再会を近い
雨の中に消えていく。
東屋に残された僕は、心地よい余韻を楽しんでいた。
さて、野宿場所を決めなければならないと、ふと自分に帰る。
いろいろ考えたが、土佐くろしお鉄道球場前駅に決めた。理由は無人駅でサッシ小屋であり、四方が壁であり雨風露を避けられることにある。
夜の列車が入るたびに、人声が唸る雨と風に混じり
一時の喧騒を現れる。しばらくすると空と海が荒々しい汽笛のごとくに
サッシ窓を振動させた。

つづく






参照
四国霊場八十八箇所 距離
四国八十八箇所*の道
四国別格20霊場の道
資料




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