Day5:Shikoku Pilgrimage 四国霊場108番所巡礼乃旅1400km 雨あがる 


Day5:Shikoku Pilgrimage 
四国霊場108番所巡礼乃旅1400km 雨あがる 

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旅程:土佐くろしお鉄道球場前駅〜28番大日寺〜29番國分寺〜30番善楽寺〜高知ぽかぽかの湯
 
天気 曇り後晴れ
 
距離 約60km  累計距離 約375km






土佐くろしお鉄道球場前駅 



土佐くろしお鉄道球場前駅のホーム待合室で朝を迎えた。 昨夜の嵐が嘘のように、海の香りがやさしい。 ガラス窓から溢れる日差しを気にしながら、 お世話になった待合室を掃除する。




硬いベンチの寝袋をたたみ、干していた濡れた靴や衣服などをとりこみ リックの中に押し込んだ完走用の古新聞紙を整理する。

確かに身体は疲れている。肩痛、腰痛、膝痛などが全身に蔓延して、休息しろ!休息!しろと、もう人の自分が懇願込めてつぶやくのだ。

まともな食事もできず不規則な日々が続く。 脚は今にも攣りそうで筋肉も悲鳴をあげているのだろ。 睡眠も浅く、頭の中もすっきりとしない。

夢遊病のような 霧のかかった情景を連想する。 今日は少し距離を短くして、休養のため早めに就寝すべきだと判断した。 事前に調べた日帰り温泉:高知ぽかぽかの湯で 久々のお風呂に入浴してさっぱりしたいという衝動を抑えることだできなかたのだ。





土佐の修行の道場に入り5日目に






一日最低60kmを野宿しながらの巡礼走り旅が僕の遍路スタイルだ。

浮浪者と間違えないように、金剛杖を唯一の遍路さんであることをアピールするだけ、地元の方は遍路さんであることを理解してくれる。 野宿といえば、東京では浮浪者と同義語に近い。

ましてや 数日間風呂にも入らず 強烈な臭いを発散して薄汚れた衣服、顔の顎には無精髭、髪も茫々でセットも崩れたスズメの巣状態で日中ふらふらと歩いていれば、即浮浪者だと 人に指を指される。最悪はおまわりさんの職務質問が待っている。
 
だが、四国では野宿とは文化であり、お遍路さんの巡拝伝統を受け継ぎ 理解されていて人々は優しく接してくれる。

四国霊場とはそんなとこだと徐々に理解してきた。 だが、お遍路さんもいろいろあるようだ。 職業遍路 乞食遍路と呼ばれる人達である。



 
走る遍路と職業(乞食)遍路

乞食という言葉は、差別用語になるかもしれない。 遍路を生業とし、お接待を受けながら、四国八十八箇所を彷徨っている人達だから、職業遍路と呼ぶことにしよう。  
こういう人達が野宿する場所は、無人駅の待合室、所々にしつらえてある遍路小屋、バス停の小屋、公園のあずま屋、辻堂、寺社の軒下などである。それに善根宿がある。 慈悲の心で、お遍路に宿を提供する無料宿泊のお接待である。生業ではないので、看板は出していない。

だから善根宿を探すのは難しい。お遍路同士の情報交換が重要な手掛かりになる。最近ではお遍路のモラルが低下したのか、善根宿に何日も居座り、挙句の果てには飲み食いして散らかしたゴミを残したままで、出て行く人かあるという。

「どこそこではご飯が出たけど、ここでは出ないのか」と、尋ねる人もあり、宿主を困らすことが多いと聞いた。  

無料で、見ず知らずの人を泊め、もてなすのは大変なことだろうとおもう。布団の用意をする。風呂を沸かす。ときには食事の用意もすることがあるだろう。慈悲の心を支えている信仰をないがしろにするような、利己的な行為が、遍路の精神世界にまで入り込んでいる。親から子へ、人から人へ伝わるお接待の循環が脅かされているようだ。
 
お遍路の世界も、時代の移り変わりと共に、多様に変化しているのである。 本来お遍路は弘法大師の足跡を辿り、修行者として苦行の道を歩くものなのである。
 
様々な理由から、社会に受け入れられず、遍路となって、流浪した人々がいたのは紛れも無い史実である。

旅の夜露に濡れ、震えながら行き倒れ、路傍の土と帰したお遍路も数多いという。  今でもそうした遍路を葬った粗末な石碑を路傍に見ることがある。遍路の裏側は、バスツアーによる観光お遍路では、分らないだろう。

第30番札所善楽寺:出逢い 




下りきった先に第30番札所がある。ここで遍路とし出逢いがあった。
土佐神社の別当寺として大同年間(806~810年)に弘法大師によって建立された。別当寺としては神宮寺もあり、もともとはそこが四国霊場第30番札所であったと言われる。
 
明治の神仏分離、廃仏毀釈のあおりを受け、神宮寺と善楽寺は廃寺となる。
1876年(明治9年)、安楽寺が30番札所として代行業務を行う。
1929年(昭和4年)に善楽寺が再興し、その後は善楽寺と安楽寺の二ヶ所で30番の納経を行うこととなった。1994年(平成6年)に安楽寺が第30番札所の奥の院となり、善楽寺が正式に第30番札所となった。
 
時間はすでに午後5時をまわり、そろそろ野宿場所を探さなかればならない時間帯であるが、今日は余裕で巡拝することができた。

善楽寺の本堂前に佇んでいると、背後から枯れた声で僕は読んでいる気配を感じた。
振り向くと、70歳代後半くらいのご年配の男性が寺の階段に腰掛けていた。そばには娘さんなおか若い女性が佇んでいた。

”歩き遍路さんですか”と、彼は尋ねた。

”はい!歩き遍路ではなくて走り遍路で四国霊場を巡拝しております。”と、僕は答えた。
”それはご苦労さんです。私も歩き遍路を数回ですが巡拝しております。

これも縁ですからお接待させてください。歩き遍路がいかに大変か十分に理解できます。切欠は何ですか?”とさらに質問がとんできた。

”昨年肺癌で亡くなれた友の慰霊するために四国霊場を巡拝しております。”




初老の男性は瞼を抑えてぼつぼつと語ってくれる。それはそれは慰霊に精進してくださいね!”と押しこらえたように話す。

”少しお金を貸してくれ!”と、彼のそばにいる娘さんに尋ねた。
”お札はあるか?”彼の言葉が続いた。
 
”あれば千円札をくれ!”
娘さんは財布から千円札を取り出して、彼に渡すと、

”お遍路さん これは少ないがお接待です。”と彼は僕にそのお札を握り渡してくれた。

僕は突然のご接待で、それもお金の接待に戸惑っていた。
だが、お遍路さんとしてお接待を断ってはいけない不文律が存在しているこを知っている。
”ありがとうございます。大切に使わせて頂きます”僕はそれらいの感謝の言葉しか見つけることができなかった。


それから、初老の男性と娘さんと四国霊場を肴に世間話が続いた。後で聞いた話だが、彼は某大学の教授を定年さた名誉教授と知ることになる。

別れ際、彼にお願いした。”健康に留意して長生きしてくださいね。”
四国霊場ではいろんな出逢いがある。そしてただ単に僕はお遍路さんだけで、声をかけたくださり、お接待までしれくれる。これは何と不思議なことでしょうか?

絶対に東京では考えられない事実だと思います。
頂いた千円札は使用すること亡く、高野山への結願のお礼参りの賽銭としてその役目を終えることができました。不思議な不思議な人々の出逢いと別れ。
 
身知らずの僕に、手を合わせ見送ってくれる。夢のような世界が四国にな存在するのだ。
そして、その後も同じような出会いが待っていた。

倉庫の軒下で野宿 


高知ぽかぽかの湯

http://www.souyu.co.jp/kouchi/index.php


最悪な悪臭を放つ衣服や下着類を洗浄できるコインランドーもあるようだ。 閉店は翌日午前1時まで休憩できるらしい。ありがたい! 露天風呂もあり12種類のお風呂が利用できし、仮眠ができる休憩室もある。 走る遍路も命の洗濯ができるようだ。
閉館が迫る翌日午前1時前に 高知ぽかぽかの湯を出て、早速にも野宿場所を探さなければならない。 

高知ぽかぽかの湯は国分川に架かる橋を渡り、国道386線より少し奥まった場所にある。 野宿できる場所を確認しながら高知ぽかぽかの湯を目指した。
めぼしい野宿場所を探していると、倉庫らしき建物がある。 大きな軒下はコンクリートがそのまま露出しており、そのまま横になるには辛いだろうな?と思ったが、他には的人な場所がない。

入浴後の身体はぽかぽかで、身体も軽く感じる。 やはりお風呂はいい。欲をいえば一畳の寝床だとありがたいのだが・・・・。 深夜に怪しい人影が、その倉庫に移動した。周りは大きな駐車場が点在している。国道を往来する車の騒音の大きく、また深夜に駐車する人影とライトが気になる。


高知ぽかぽかの湯館内には軽食コーナーぽかぽか亭があり、「ぽかぽか定食白身魚フライ」を完食、お腹も満腹で後は寝るだけ。 無論、冷えた麦酒も頂いているので野宿体勢には準備もできた。


つづく


四国霊場八十八箇所 距離
http://hen6.web.fc2.com/plan/plan_t
四国八十八箇所*の道
http://gpscycling.net/tokaido/henro.html
四国別格20霊場の道
https://www.google.com/maps/d/viewer?mid=1gTqFJPYCB1zuX2AGf1wm2F3zRXY&hl=en_US
引用 資料
http://www7b.biglobe.ne.jp/~karasum…\
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