Day6前編:shikoku Pilgrimage 四国霊場108番所巡礼乃旅1400km 心揺れて**


 
Day6前編:hikoku Pilgrimage 四国霊場108番所巡礼乃旅1400km 心揺れて*






旅程:高知ぽかぽかの湯 〜31番竹林寺〜32番禅師峰寺〜33番 雪蹊寺〜第34番種間寺〜第35清滝寺 〜第36青龍寺〜別格第5番大善寺〜第37番岩本寺

日付:2016年5月23日月曜日
天気 曇り後晴れ 距離 約103km  累計距離 約450km





高知ぽかぽかの湯
昨夜の野宿は、倉庫の軒下を借りた。
コンクリートの地べたに寝袋を敷いた簡素な寝床である。 午前4時過ぎに目が覚めた。あたりは薄暗くまだ陽は登っいない。 夜明けまえに立旅しなければならない。
今日は窪川の第37番札所岩本寺までの約103kmを走破しなければならない。 多分、岩本寺にたどり着くころには夜になるだろう。
今日は覚悟して、これから先の遍路道を臨まなければならない。


第31番札所 竹林寺




竹林寺のある五台山は市街地の外れにあって、海抜150メートルの小高い丘である。 眼下に高知の市外を望み、それに陸地に深く食い込んだ浦戸湾が見える。一服の絵画を見ているような風景が展開する。  いったん上り詰めて、やや下ったところに竹林寺の仁王門があった。

荒れた石畳の参道から青葉の隙間から強い日差しを透けるように落ちてくるが、鬱蒼とした森の中ではひんやりと涼しくも感じる。
  
竹林寺の旧遍路道は、高知県立牧野植物園の敷地内を通り抜けて行きます。  
旧遍路道と辿って行くと突然に植物園の中に迷い込み、旧道が忽然と喪失している。  
遍路標識と忠実に辿るも旧道に迷い、そして不安になりいま来た道を戻り何度も何度も確認するが、以前としてその遍路道を確認することだできない。  
 
旧道を求めて右往左往していると約40分くらいロスタイムとなり、少し焦ってきた。
遂にはめんどくさくなり、開演前のこの植物園の閉鎖されたゲートを乗り越えて園内の散策しながら出口の扉を乗りこた。 出口と思ったゲートは、入り口門である。

どうやら裏門から 侵入したのであろう。
しかし、旧遍路道を破壊し再開発された植物園が障害物となり、 少しイライラと神経が過敏になり、最後には立腹してしまう。

”なんで世界遺産を申請してるはずの四国霊場で、旧道を破壊してまで開発するのか”と怒き通りを抑えることができなかった。



60年に1度の大チャンス! 四国お遍路の旅「丙申」×「閏年」×「逆打ち」でご利益5倍  

全行程およそ1460km、365里にも及ぶ四国八十八カ所の霊場を巡る『お遍路』の走り旅。
2016年は五輪イヤーでもある“閏年”だが、実はこの年に『逆打ち』をするとご利益が3倍になるという言い伝えがあるのだ。 逆打ちとは88番札所から1番札所へと逆に巡拝することで、閏年は通年の3倍増のご利益がお遍路さんに得られるのです。

ご利益は同じでない!

2016年は、4年に1度の「うるう年」です。
閏年に四国霊場八十八ヶ所を逆打ちすれば、お遍路さんにとって通常のご利益が3倍のある年らしい。 さらに驚くことに、 丙申の年で閏年に逆打ちをすると、何とご利益が五倍あるといわれています。


歩きお遍路さんと観光お遍路さんとご利益は同じなの?

お遍路さんもいろいろな巡拝スタイルがあります。 お話をわかりやすくするため、 ここでお遍路さんスタイルで2つに定義することします。

定義
*1.歩き遍路さん等:自らの両足だけで四国霊場を巡拝するお遍路さん(自転車お遍路さんも含む)

2.観光お遍路さん:ガソリン等の化石燃料を利用したバイクや車及びバス等で巡拝されお遍路さん*
 
四国霊場八十八ヶ所を巡拝すればご利益が得られるが、観光お遍路さんと僕のような走る遍路等のご利益は同じなんでしょうか?

想像してみてください! 静寂に包まれた札所の境内の駐車場に停車する観光バスから蜘蛛の巣のように降りてくる一段のお遍路さんの群れ 一瞬にして、静寂に満ちた空有に、どよめく響き渡る観光お遍路さん等のざわめきに、境内はカオス状態に突入するのだ。

そんな情景を汗臭く薄汚れた走り遍路がひとり。その集団を注意深く観察してると、ふと!ご利益のことを考えてしまう。 果たして 歩き遍路さん等との観光お遍路さん等とは、ご利益は同じだろうか? 各札所で賑わう観光お遍路さんを眺めていると、ふつふつと疑問が湧いてくるのです。

例えば、歩き遍路さん等のご利益を1とすると 観光お遍路さん等も同じようご利益は1だろうか? 僕は絶対に違うのではないでしょうか? お遍路スタイルにより、ご利益も違うのです。 それは何故か?
 
年によってもご利益が違うのであれば、お遍路スタイルによっても そのご利益も違うのが道理であるからです。 では、年によてお遍路さんに対するご利益が違うことを検証しよう。


衛門三郎とお大師様が会った年が「うるう年」

四国お遍路を始めた、最初の人物とされるのが、「衛門三郎」です。 お大師様を追いかけて、四国霊場を何度も回り、彼が死の間際。 ようやくお大師様に会えたのが、実は、うるう年。

衛門三郎が、お大師様に出会えたといわれるのは、西暦832年。 この年は「うるう年」に当たる年で、しかも「申年」でした。 このとき、すでに20周も四国霊場を回っていた衛門三郎は、12番札所「焼山寺」の近くで、ようやくお大師様に出会うことができました。
このように、「申年のうるう年」に、衛門三郎が、お大師様に出会えたという逸話から、 「申年」で「うるう年」でもある2016年は、とくに5倍のご利益がある年される訳である。 つまり、2016年が、いつにもまして「ご利益がある」といわれる年で、千載一遇の大きなご利益がゲットできる年なのです。
 
*うるう年の逆打ちはご利益が3倍増、申年+うるう年の逆打ちのご利益は5倍増**
でも、よく考えると何だか変ですよ! 年によって、また逆打ちまた順打ちで逆打ちで ご利益が違うはずがないと僕は思います。 

また、遍路さんスタイルで違えば、当然に違うと思う。 こんな言い伝えは一体誰が提唱して拡散したのでしょうか? 裏を考えると、まずは商売ではないかな? ホテルや旅館、旅行代理店、交通機関、札所などの 商売の臭いがプンプンするわけです。

 
五台山を下り、下田川沿いを歩き始めた。1時間も走ると遍路標識を頼りに右折して暫らくして、田植えの田園風景が途切れ、緑の茂る集落に入った。
武市半平太の旧宅と墓地の案内板があった。

土佐藩の郷士で坂本竜馬とは遠縁に当るといわれ、幕末に土佐勤皇党を結成している。旧宅を見学しようと考えたが、今日はとにかく距離が長い!心残りであるが、今回は観光ではない。慰霊のための巡礼であり、残念であるがここはスルーして先を急いだ。


第32番札所 禅師峰寺



平坦な遍路道はあまりにも味気ない。空を見上げると雲ひとるも無く快晴であるが、陽射しは強くて 肌を焦がすとはこのことだろう。

途中に小さな商店を発見した。注意しなければ民家と思われるほど、商売気がない。
ガラス扉から中を覗き込むと、人影もなく薄暗い。
果たして営業しているのかどうか・・・。

重たいガラス引き戸を開けると、やはり誰もいない。”こんにちは!”と何度も襖の奥にいるだろう人の気配を確認して声をかかる。

暫くすると、奥から返事がありどうやら男の声だ。
襖が開くと年配の男性が現れた。この酷暑の中の走り遍路も喉が乾き冷たい物がほしいく
アイスクリームを存在を知らせるのぼり旗を発見するや、心穏やかでない衝動でこの商店に飛び込んだのだ。
 
年代を重ねた冷凍庫の中を覗き込むと、ギンギンに冷えたアイスクリームが数個並べられていた。

その中の一番奥から選んだアイスクリームを取り出し、購入すればまた外は酷暑の地獄が待っている。

なんて今日は暑いのだろう?折れかかる心に冷たいアイスクリームの冷たさがしばしの癒やしを与えてくれた。
 
左手の小高い丘の上に禅師峰寺が見えてきたが、左に折れる道が無い。
 
畑仕事からの帰宅途中と思われるご婦人に道を尋ねることが出来たが、教えられた通りに歩くと、禅師峰寺からどんどん遠ざかるように思える。禅師峰寺は地元の人は峰寺と呼んでいるのだと、道を尋ねた婦人が教えてくれた。

バイパスの上に架かった橋を渡った。黒潮ラインが禅師峰寺のある小高い丘の真下をトンネルで串刺しにしている。このバイパスが出来たおかげで、遍路道は遠回りをさせられたことになる。集落に入り道が突き当たり石灯篭を眺めて左折した。潮の香りを乗せた心地よい風が吹いてきた。海岸に近い。集落の佇まいは漁師町の様でもあり、禅師峰寺の門前町の様でもある。

歩いている人もいなければ店先には人影も無く、遠望の先にある情景が揺れていた。
麓から頂上にある禅師峰寺までは僅かな距離なのに、坂道は傾斜が急で、おまけにごろごろとした石で出来ており、足元が悪く、簡単には登れない。

境内にも奇怪な容をした岩石が多くあって、樹木に覆われて幽遠な趣がある。
納経をすませて山を下りると、遠くに桂浜が見える。砂浜は弓形に長く延びていた。これから、桂浜の向こうまで歩くのだ。

何故、お遍路に出てきたのかと問われても、そこまでに至った心の葛藤は上手く説明は出来ない。
理由のひとつを挙げれば、肺癌で帰らぬ友への弔いがある。だが、本当は僕は知っていた。


僕はただ

独りになりたくなったから歩いているのだと。


だが、お遍路さんは歩いているうちに独りでは生きていけないということに気付くという。たくさんの人に支えられて歩いているのだからだ。
 
県営種崎渡船場

http://www.pref.kochi.lg.jp/soshiki

32番札所「禅師峰寺」を出発すると、境内から眺めた坂本龍馬像で有名な桂浜(かつらはま)の方向に進む。

次の33番札所「雪蹊寺」は、浦戸湾を隔てて対岸にあるので、海を渡る必要があり、ふたつのルートからの選択になります。
まずひとつの手段は「浦戸大橋」を渡るルートです。
歩き遍路さんも歩行することができますが、本来は自動車専用設計だったので、歩道がとても狭く、しかも特筆すべきはその高さで海面から50mもあり、歩くには少々スリルを感じることでも有名な橋らしい。


ただ、この橋を渡ると、高知県の有名な観光地「桂浜」があり、風光明媚な弓型の砂浜のほか、坂本龍馬像、坂本龍馬記念館、土佐闘犬センター、桂浜水族館などいろいろな観光スポットがある。

もうひとつの手段で、私が選択したのが「県営渡船」を使うルートです。
船で湾を渡るのですが、ここは県道278号線の一部として無料で運航されている。
その名も「県営渡船 龍馬」
わかりやすすぎる愛称がついた渡し船なのです。

僕は走する遍路として、ひとつのこだわりがある。
全道程を自分の足だけで走り歩きしなければならないと言ったこだわりだ。
しかし、地元の人に聞くとこれによれば、ここはれっきとした「遍路道」であり、
今ほど交通事情が発達していなかった時代の昔の遍路道は、船も重要な移動手段だったそうです。


湾の方向に向かって小さな半島の集落「種崎(たねざき)」を進んでいくと、渡船場に数分で到着です 観光バスで移動するお遍路ツアーの人々や、車で移動するお遍路は、浦戸湾に架かる黒潮ラインの浦戸大橋を渡り雪蹊寺に向かうのだが、歩き遍路はフェリーを使って浦戸湾を渡る。

種崎船渡場に着いたのは、運悪く既にフェリーは出港した後だった。
 
次の船便まで1時間近くも待つことになった。人、自転車、乗用車、バイクなどが乗るのだが、大型車両は乗ることが出来ない。対岸までは僅か5分の距離で、小規模のフェリーであり、生活のための渡し舟といったあんばいだ。渡し舟は古くからあったようで、これを利用するのが本来の遍路道なのだ。

種崎船渡場には小さな待合室ある。時間を持て余してが、寛ぐにはこの機会を大切にしよう。

ここまで走る遍路としての意地だろか・・・時間と距離を気にするままに、精神的にも肉体的にも疲労のピークを迎えたようだ。

種崎船渡場の前には商店も無ければ、腰をおろしてお茶を飲むようなお店も無い。
待合室に寛いでいると、コンセントを発見した。事後承認ですが、PCやスマートフォンの
電源確保に使用させて頂いた。

浦戸大橋が完成するまでは往来する人々の重要な足であり、生活の道であって賑わっていたようだが、そんな面影は全く無い。

数分後、金剛杖に鈴をつけた中年お遍路さんふたりが、フェリーに乗ってきた。
禅師峰寺を下るときにすれ違ったお遍路さん達だ。
 
「暑いですね。どちらから来れれてますか?」と声を掛けたのだが、なぜか煙たそうな表情を見せたっきり、言葉を発しなかった。
フェリーから降りて再び歩き始めた。彼の鈴の音がだんだんと遠ざかり、間もなく聞こえなくなった。

彼も独りになりたいから歩いているのだろう。僕の挨拶なんて邪魔なのだ。
挨拶をしても返事の無いお遍路さんを、ここまで何度も出逢いました。若いお遍路さんは丁寧に挨拶してくれるが、定年を迎えたと思われる年配お遍路さんに無反応なことが多くて最初は驚いていた。

人生経験を積んだはずの年配お遍路さんに、いい歳をこいて挨拶もできないのか!・・・と心の中で
叫んだことも数知れずだ。
人はそれぞれ、お遍路さんもそれぞれ・・・・今は無反応でも心やすらかに僕は保つことだできた。

第35番札所 清滝寺




急峻な遍路道を800メートルほども登ったところに清滝寺がある。
ザックを正門の脇に預け、身軽な出で立ちで登ってきて良かったと思う。境内には濃い緑を背景に薬師如来の巨大な像が立っていた。
 
四国霊場は、自らが再生するための巨大な空間であり、今の己は暗闇の中を歩いているのである。未だ全行程の半分にも満たない。果たして、八十八個所を歩き終えたときには、この暗闇から抜け出すことが出来るのだろうか。まぶしい光の世界に辿り着けるのだろうか。


般若心経の初めの方に、「度一切苦厄(どいっさいくやく)」という文言がある。直訳すれば、「一切の苦厄を越えなさい」ということだろう。

僕は常に自分の心の動きや、過去の経緯にこだわって生きている。僕には、幼少年時代、青春彷徨時代の疎ましい記憶がある。この記憶への拘りが、苦しみの元凶なのかもしれないが、そこからは簡単に開放されるものではない。


第36 番札所 青龍寺

新しく整備された県道39号線を歩いていると、「塚地峠入り口」と書かれた標識があり、表示にしたがって峠に入る。
 
青龍寺に向かう遍路道だ。

峠の入り口から30分も登ったら、塚地峠に着いた。展望はきかない。遍路標識シールに従って目的地の「宇佐」に向かう。峠を少し下った所で展望が開け、美しく広がった宇佐湾の風景が異様なまでも大きな宇佐大橋が弓なりとなって目の前に飛び込んできた。

宇佐大橋は浦ノ湾の入り口に架かっている。宇佐の漁港と横波半島を結んでいて、全長645メートルと表示されていた。

歩道も小さく、ひとり歩くだけの幅しかなくまた欄干も膝までしかないので、眼下に海の飛沫がかかるよな錯覚をするほど、手に取るように開放的である。

少しスリルを味わうには最高の橋であることは間違いないだろう。乗用車が1台、追い越していった。かなりの高度があるので橋の真ん中辺りに来ると強い風に煽られる。

青龍寺は横波半島の谷間にあった。本堂は170段もの階段を登らなければならない。モンゴル出身の大相撲、横綱朝青龍が留学していた高校はこの近くにあり、この階段を駆け上って身体を鍛えたという。四股名はこの青龍寺からとって名付けたものだ。

つづく




四国霊場八十八箇所 距離
http://hen6.web.fc2.com/plan/plan_t
四国八十八箇所*の道
http://gpscycling.net/tokaido/henro.html
四国別格20霊場の道
https://www.google.com/maps/d/viewer?mid=1gTqFJPYCB1zuX2AGf1wm2F3zRXY&hl=en_US
引用 資料
http://www7b.biglobe.ne.jp/~karasum…\
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