お接待をする理由




お接待をする理由として


お遍路さんは自分の代わりに四国八十八カ所霊場にお参りをしてくれるのだから、ありがたい存在だ」という考え方だ。
「お遍路さんは『同行二人』としてお大師さまと一緒に巡礼している。そのお遍路さんをお接待することは自分の功徳になる

という説明も聞いたことがある。


 だけど、こうした理由だけでは十分に説明しきれない気がした。



もっと奉仕に近いような感覚というのか。あるいはお接待すること自体がご自身の使命になってしまっているというべきかもしれない。これはもうマルセル・モースの「贈与論」でも持ち出さなければ、説明がつかない気がする。


「贈与論」の中にある「贈与の義務」や「贈与と霊的な力」というやつだ。
モースはそうした贈与の意味を未開社会の時代から人間が持ち続けている精神的な構造として描いているのだが、それを思い起こさせるほど濃厚なお接待に現代社会に生きる自分が四国の山道で出くわすとはまったく予想していなかった。

お遍路さんは 接待を断ってはいけない。だが、走る遍路は
自らの足だけで巡拝するので丁重にお断りしたが。。












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