村上春樹の原点
【ずっと昔に国分寺にあったジャズ喫茶の村上春樹の話】
先日は世界的作家で早稲田大学名誉博士にもなった村上春樹さん(75歳)を見てきたので、今日は国分寺市にあるジャズ喫茶「ピーターキャット」の若きマスター村上春樹さん(26歳)を見てみましょう。
1975年のピーターキャットのマスター。髪が長いです。店を始める前は、彼の好きな映画「イージーライダー」風に肩口まで髪があって、一時はヒゲまでのばしていたんです。信じられませんよね。
この年の3月に彼は7年間通った早稲田大学を卒業したばかりです。22歳で学生結婚し、25歳の在学中に国分寺駅の近くにジャズ喫茶「ピーターキャット」を開店させています。
エプロン姿の彼の店は午後1時から深夜1時まで開いています。開店前と閉店後を鑑みると彼は毎日14時間以上働いているのです。まだ小説は書いていません。
マスターは無口というほどでもありませんが、あまり多くをしゃべりません。客からは「無口で無愛想」と思われていて、もっぱら接客は陽子夫人が担当しています。
この写真の43年後に「無口で無愛想」な彼が自分のラジオ番組を持ってDJをしているなんて、神さまでさえご存知だったか疑問に思われます。
店が暇なときに彼はカウンターに座って本を読んでいます。かなりの読書家なのです。実をいうと、彼はこの写真の3年後にふとしたきっかけで小説を書いて文芸誌の新人賞を取ることになるのですが、そんなことはまだ誰にもわかりません。本人にだってわかっていません。たぶん自分は国分寺のジャズ喫茶のマスターとして、好きな音楽を毎日聴きながら静かに一生を終えることになるだろうと思っています。世の中はわからないものですね。
国分寺ピーターキャットのコーヒーは300円です。今でこそ安い価格ですが49年前がどうだったのか筆者には分かりません。
ただ、彼の所有する850枚のジャズ・レコードを彼自身の選曲で聴け、彼が淹れてくれたコーヒーを飲めたのなら、それはそれで十二分に価値あるコーヒーの価格だったのです。
※写真は「jazz 1975年5月特別増大号」より
※文章の一部を『村上朝日堂超短篇小説 夜のくもざる』に収録されている「ずっと昔に国分寺にあったジャズ喫茶のための広告」から引用しています
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