旅は巡礼なり



旅は巡礼であること


ひとつの旅の連続が人生なんだろう。決まっていることはなにひとつない。


生まれてくることだって決められない。唯一決まっている予定は、いつか僕らは死ぬということだけ。


僕は死ぬのが楽しみになる生き方をしたいと常々思う。それは何が起こるかわからないことを楽しめることだ。


良いことも悪いことも死ですらも。


生を生き尽くすということでもあり、生にも死にも偏らない。こだわらない。 それは今を生きるということでもあろう。


生きてる今は生に向きあう。かといって死から離れているわけではない。


僕たちは今日にでも死ぬかもしれないということも受け入れれば、今が今で、生が死なのだ。死があるから、今を生きられる。


そして死んだ後も本気で死を生きられる。今とは過去と未来の交差点であるゆえに、過去と未来をも含有するのだと思う。 


また大袈裟に脱線している。しかしそれで良いのだろう。


お遍路はひとつの旅である。


今旅を振り返っているこの今がまさに旅の真っ最中だからだ。


もちろんこの振り返る旅が終わっても大した感動がある予感がしない。


どうせまた次の旅に出るのだから。

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