素晴らしい国 それは日本

 百田新党(仮)の党名が当初の予定より1ヶ月も前倒して正式発表された。

その名も『日本保守党』

党の理念が名前を聞いただけで分かる、ド直球の素晴らしい党名だと思う。


それはさておき、常日頃『保守』という言葉をよく使う私も今一度この言葉の意味を噛み締めてみる良い機会だ。

連休中の秋の夜長、よろしければお付き合いくださいw


『守って保つ』と書くこの言葉は、『守るものがある』という大前提に立っており、二千数百年の歴史を大切に紡いできた日本国にとってとても重みのある価値観だ。


新しい国だったら作る作業だけでいいが、日本国には先人達の努力によって連綿と受け継がれてきた伝統、文化、そして国柄がある。

そして、それらを次世代にしっかりと引き継がなければならない役目が我々にはある。それはいわば過去と未来を繋ぐパイプのようなものだ。


では、何をどのようにして次の世代に伝えてゆくべきか、と考えた時に『日本の国柄』というものをきちんと理解していなければならない、と気がついた。


私は2013年に世界一周の旅に出た。

『こんな窮屈でクソつまんない国に居られっか!』

という気持ちで日本を飛び出した。どこかで居心地の良い場所を見つけたらもう帰らないつもりでいた。

ダサくてつまらなくて遅れた日本など捨てて、キラキラしてカッコよくて自分が自分らしくいられるユートピアを探そうと本気で思っていた。


しかし、50近くの国を何年も一人放浪して得たものは

『日本というのはなんと素晴らしい国だったのだ』

という感動にも近い感覚だった。


今まで価値を見出していなかった日常の『当たり前』が決して当たり前ではなく、不屈の努力と真心で創り上げてきた先人達の息吹をありありと感じることができた。そして『悪いことをした』と教わった日本軍の兵隊さん達の精神性。それに未だに感謝している方々が各国にいること。亡くなった戦友、家族、そして祖国の為にと飽くなき向上心、探究心で戦後の日本を復興してきた人々の情熱、想い。


何も考えず、何も知ろうともせず、美味しいものを美味しいとも感じず当然のように貪り、あろうことかまだ足りないと不平不満を口にしていた己の浅はかさに愕然とした。


しかしこれは私だけの問題ではなく、多くの日本人がこの状態にあるのではないかと考えるようになった。

海外に出、外からの視点で日本を振り返った時に見えてきた『我が祖国の素晴らしさ』を日本人にこそ伝えなければ!


これが帰国してから私の人生のテーマとなった。


『これが日本らしさだ』


と思う事柄は人によってそれぞれ変わってくるはずだ。其々の人が『これは大事』と思うことを次世代にきっちり継承してゆけば日本の伝統は守られ、次の二千年への第一歩となる。


伝統工芸にしても、伝統芸能にしても、ずっと昔と全く同じようになぞるだけでは絶えてしまうものもある。

時代に合わせて少しずつ変え、それでも本質は絶対に見失なわないよう『ここは変えても良いがここは変えてはいけない』と正しく選択できるバランス感覚が必要だ。

それには『何故これが存在するのか』の本質的な部分まで掘り下げて考え、答えを知らなければならない。


私は日本の国柄の根幹は『天皇』『皇室』『神道(自然崇拝)』だと思っている。

そこから日本が出来、日本人のありとあらゆる価値観が生まれ、一日一日と刻まれた日々が二千年の時を経て今日まで繋がっている。

その一日を紡ぐため、先人がどう考え決断し生き抜いてきたかちゃんと知らなければならない。そうでなければ今あるものの価値など到底わからず、とても大切なものを易々と手放してしまうかもしれない。

それでは根を抜かれた浮草のような無価値な存在になってしまう。


『温故知新』


今の日本人に必要なのはこの言葉だ。

古きを温(たず)ねて新しきを知る。


日本人がどれだけの知恵を持ち、しかし驕らず謙虚に生きてきたか。

どういう精神性をもって自己鍛錬に励んできたか。

そういうことを知れば知るほど(自分もそうでありたい)と切望するのではないか。

そしてその姿勢を子供や孫たちに見せること。そうすれば未来へのパイプを繋ぐことができるのではないか。


自分の一生は死んだところで終わるものではない。

守るべき価値観を次世代へ繋いでゆくことで永遠に生きられるのだ。安倍さんが多くの日本人に種を蒔いた様に、私もそう生きたいと心から思う。


それこそが真の保守だと私は信じて明日も生きる。

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