母へ



台所のシンクと、僕の母

母の記憶をたどると、決まって台所のシンクに行き着く。水が絶え間なく流れ、皿がぶつかり合う音。それは、父が家を出てからの、僕たちの生活の背景音だった。僕たち5人の子供を抱え、母はただひたすら働き続けた。

夜の帳が降りる頃、僕が新聞配達から帰ってくると、母はいつも台所に立っていた。カチャカチャという食器の音、静かなため息。母の背中はいつも小さく見えたけれど、その背中には、僕たち5人分の人生を支えるという、途方もない重圧がのしかかっていた。

ある晩、僕が母の横に立って、洗い物をする母の手元をじっと見ていたことがある。その手は、水仕事と、どこかの工場で働く重労働で、ひどく荒れていた。指の関節は太く、ひび割れが痛々しい。僕は何も言えなかった。ただ、母がたまに、手の甲でそっと目をこするのを見た。その仕草に、僕は言葉にできないほどの悲しみと、母の強さを感じた。

母は、決して弱音を吐かなかった。僕たちが「お腹すいた」とねだれば、「はい、どうぞ」と、いつも温かいご飯を出してくれた。それは、母がどれほどの時間を削り、どれほどの疲労を犠牲にして稼いだお金で賄われていたのだろう。僕が高校の学費について話すと、母は何も言わず、ただ僕の頭をそっと撫でた。その手のひらから伝わるのは、愛情だけではなかった。僕には、母の抱える孤独と、それでも僕たちを育てていくという、鋼のような決意が感じられた。

母の人生は、物語の主人公のそれとは少し違っていた。華やかさとは無縁で、ただひたむきに、静かに、そして力強く生きてきた。時々、ふと考える。あの時の母は、どんな夢を見ていたのだろう。どんな希望を胸に、毎日を過ごしていたのだろう。それは、僕には知る由もない。けれど、僕が今、こうして静かに物書きをしていられるのは、あの台所のシンクで、静かに皿を洗っていた母の、力強い背中があったからだ。

今、母は僕の横で、穏やかに眠っている。その顔には、長年の苦労の跡が刻まれているけれど、同時に、深い安堵と静かな幸せが満ちている。僕の心の中には、あの日の台所のシンクと、疲労に耐えながらも温かさを失わなかった母の手が、いつまでも鮮やかに残っている。それは、僕が生きている限り、決して消えることのない、大切な宝物なのだ。


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